○出雲神を追い続けると、大和国一宮である大神神社へ辿り着くし、信濃国一宮である諏訪大社へ着くし、宮城県名取市愛島笠島の笠島道祖神へ逢着する。出雲神の斎き祀られているところは必ずしも、出雲国だけではない。
○その出雲神の故郷を辿ると、何故か出雲国へ向かうわけでも無い。出雲神の故郷はどう考えても鹿児島県鹿児島郡三島村硫黄島とするしかない。それは伊予国一宮である大山祇神社や、伊豆国一宮である三嶋大社の御祭神とされる大山祇神の故郷が硫黄島であり、駿河国一宮である富士山本宮浅間大社や、甲斐国一宮である浅間神社の御祭神として祀られている木花之佐久夜毘売命の故郷が硫黄島であることと、見事に一致する。
○つまり、日本の多くの神様の故郷は、鹿児島県鹿児島郡三島村硫黄島だと言うことになる。そんな恐ろしい話は聞いたことが無いとおっしゃるかも知れない。しかし、出雲神や大山祇神、木花之佐久夜毘売命を追及すれば、必ず、硫黄島へ達する。
○そのことが何を意味するか。それは硫黄島が信仰の島であって、此処から日本の宗教が発生したと言えよう。したがって、硫黄島を訪れれば、そういう日本の宗教の原点がどういうものであったかを知ることができる。
○もっとも、現代の硫黄島は昔の硫黄島ではない。すでにそういう古代の文化そのものを完全に喪失してしまっている。ただ、現在の宗教聖地から嘗ての硫黄島の様子を復元することもできる。そういう意味で、例えば、修験道の聖地である大峯山を訪れると、硫黄島とそっくりそのままの風景がそこに出現することに驚く。大峯山では、何と、硫黄島三山、
・硫黄岳(703叩
・矢筈岳(349叩
・稲村岳(238叩
がそのまま、
・山上ケ岳(1719叩
・大天井ケ岳(1438叩
・稲村ケ岳(1725叩
として存在する。このことは修験道の原郷が硫黄島であることを意味する以外の何者でもない。
○同じように、大和国一宮である大神神社が御神体とするのは三輪山である。その三輪山信仰の本質は何か。そういうことを理解するのには、村井康彦著「出雲と大和」(岩波新書:2013年1月刊)が非常に重宝である。
○結論だけを述べると、それは磐座崇拝であることが判る。それは三輪山でもそうだし、硫黄島でも同じである。ただ、現在の大神神社は、そのことを全然案内しないけれども、三輪山信仰の本質が太陽崇拝でもあることを忘れてはなるまい。
○もともと、大神神社は、三輪明神であることを見逃してはならない。現在でも、大神神社境内や、その周辺には、平等寺や大御輪寺、浄願寺など、多くの寺院跡を見ることができる。
○大神神社のHPには、次のように載せる。
【ご由緒】
当社の創祀に関わる伝承が『古事記』や『日本書紀』の神話に記されています。『古事記』によれ
ば、大物主大神が出雲の大国主神の前に現れ、国造りを成就させる為に「吾をば倭の青垣、東の山の
上にいつきまつれ」と三輪山に祀られることを望んだとあります。
また、『日本書記』でも同様の伝承が語られ、二神の問答で大物主大神は大国主神の「幸魂・奇魂」
であると名乗られたとあります。そして『古事記』同様に三輪山に鎮まることを望まれました。この
伝承では大物主大神は大国主神の別の御魂として顕現され、三輪山に鎮まられたということです。
この様に記紀の神話に創祀の伝承が明瞭に記されていることは貴重なことで、当社が神代に始まっ
た古社中の古社と認識されており、ご祭神の神格が如何に高かったかを物語っていると言えます。
そして、ご祭神がお山に鎮まるために、当社は古来本殿を設けずに直接に三輪山に祈りを捧げると
いう、神社の社殿が成立する以前の原初の神祀りの様を今に伝えており、その祭祀の姿ゆえに我が国
最古の神社と呼ばれています。
http://oomiwa.or.jp/jinja/goyuisho/#linktop
○その出雲神の故郷を辿ると、何故か出雲国へ向かうわけでも無い。出雲神の故郷はどう考えても鹿児島県鹿児島郡三島村硫黄島とするしかない。それは伊予国一宮である大山祇神社や、伊豆国一宮である三嶋大社の御祭神とされる大山祇神の故郷が硫黄島であり、駿河国一宮である富士山本宮浅間大社や、甲斐国一宮である浅間神社の御祭神として祀られている木花之佐久夜毘売命の故郷が硫黄島であることと、見事に一致する。
○つまり、日本の多くの神様の故郷は、鹿児島県鹿児島郡三島村硫黄島だと言うことになる。そんな恐ろしい話は聞いたことが無いとおっしゃるかも知れない。しかし、出雲神や大山祇神、木花之佐久夜毘売命を追及すれば、必ず、硫黄島へ達する。
○そのことが何を意味するか。それは硫黄島が信仰の島であって、此処から日本の宗教が発生したと言えよう。したがって、硫黄島を訪れれば、そういう日本の宗教の原点がどういうものであったかを知ることができる。
○もっとも、現代の硫黄島は昔の硫黄島ではない。すでにそういう古代の文化そのものを完全に喪失してしまっている。ただ、現在の宗教聖地から嘗ての硫黄島の様子を復元することもできる。そういう意味で、例えば、修験道の聖地である大峯山を訪れると、硫黄島とそっくりそのままの風景がそこに出現することに驚く。大峯山では、何と、硫黄島三山、
・硫黄岳(703叩
・矢筈岳(349叩
・稲村岳(238叩
がそのまま、
・山上ケ岳(1719叩
・大天井ケ岳(1438叩
・稲村ケ岳(1725叩
として存在する。このことは修験道の原郷が硫黄島であることを意味する以外の何者でもない。
○同じように、大和国一宮である大神神社が御神体とするのは三輪山である。その三輪山信仰の本質は何か。そういうことを理解するのには、村井康彦著「出雲と大和」(岩波新書:2013年1月刊)が非常に重宝である。
○結論だけを述べると、それは磐座崇拝であることが判る。それは三輪山でもそうだし、硫黄島でも同じである。ただ、現在の大神神社は、そのことを全然案内しないけれども、三輪山信仰の本質が太陽崇拝でもあることを忘れてはなるまい。
○もともと、大神神社は、三輪明神であることを見逃してはならない。現在でも、大神神社境内や、その周辺には、平等寺や大御輪寺、浄願寺など、多くの寺院跡を見ることができる。
○大神神社のHPには、次のように載せる。
【ご由緒】
当社の創祀に関わる伝承が『古事記』や『日本書紀』の神話に記されています。『古事記』によれ
ば、大物主大神が出雲の大国主神の前に現れ、国造りを成就させる為に「吾をば倭の青垣、東の山の
上にいつきまつれ」と三輪山に祀られることを望んだとあります。
また、『日本書記』でも同様の伝承が語られ、二神の問答で大物主大神は大国主神の「幸魂・奇魂」
であると名乗られたとあります。そして『古事記』同様に三輪山に鎮まることを望まれました。この
伝承では大物主大神は大国主神の別の御魂として顕現され、三輪山に鎮まられたということです。
この様に記紀の神話に創祀の伝承が明瞭に記されていることは貴重なことで、当社が神代に始まっ
た古社中の古社と認識されており、ご祭神の神格が如何に高かったかを物語っていると言えます。
そして、ご祭神がお山に鎮まるために、当社は古来本殿を設けずに直接に三輪山に祈りを捧げると
いう、神社の社殿が成立する以前の原初の神祀りの様を今に伝えており、その祭祀の姿ゆえに我が国
最古の神社と呼ばれています。
http://oomiwa.or.jp/jinja/goyuisho/#linktop