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三輪山と大和三山

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○今回、ブログ名を『三輪山と大和三山』としたのには、当然、理由がある。もちろん、それがブログ『枕詞:八雲立つ』に引き続く話であることは言うまでも無い。そして、それはブログ『大和三山の正しい眺め方』や、ブログ『硫黄島から眺める大和三山』の話を継承するものでもある。ブログ『大和三山の正しい眺め方』や、ブログ『硫黄島から眺める大和三山』については、以下を参照されたい。
  ・書庫「大和三山」:ブログ『大和三山の正しい眺め方』
  https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/41184368.html
  ・書庫「大和三山」:ブログ『硫黄島から眺める大和三山』
  https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/41186910.html

○奈良盆地の東端に存在するのが三輪山である。ウィキペディアフリー百科事典が案内する三輪山は、次の通り。
      三輪山
   三輪山(みわやま)は、奈良県桜井市にある山。奈良県北部奈良盆地の南東部に位置し、標高467.1
  m、周囲16km。三諸山(みもろやま)ともいう。なだらかな円錐形の山である。
  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E8%BC%AA%E5%B1%B1

○また、三輪山そのものを御神体とする社が大和国一宮の大神神社である。
      大神神社
   大神神社(おおみわじんじゃ)は、奈良県桜井市三輪にある神社。式内社(名神大社)、大和国
  一宮、二十二社(中七社)。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。
   別称を「三輪明神」・「三輪神社」とも。
  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E7%A5%9E%E7%A5%9E%E7%A4%BE

○ついでに、併せて、大和三山も見ておきたい。
      大和三山
   大和三山(やまとさんざん)は、奈良県(旧・大和国)の奈良盆地南部、飛鳥周辺(橿原市)に
  そびえる3体の山々の総称。1967年(昭和42年)12月15日、歴史的風土保存区域に指定、各山も歴史
  的風土特別保存地区に指定、2005年(平成17年)7月14日、国の名勝に指定された。
    天香久山(あまのかぐやま、あめのかぐやま、152m)
    畝傍山(うねびやま、199m)
    耳成山(みみなしやま、140m)
  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%92%8C%E4%B8%89%E5%B1%B1

●大和三山をよくよく検証すると、意外なことが判る。それが邪馬台国三山である。つまり、大和三山は勧請された山であって、本物の大和三山は日向国に存在する。そのことは、以下のブログで検証済みである。
  ・書庫「大和三山」:ブログ『邪馬台国の大和三山』
  https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/35039855.html

●もちろん、当古代文化研究所では、邪馬台国三山について、詳細な検証を加えている。
  ・書庫「大和三山」:ブログ『きりしまのうねびやま』
  https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/35045578.html
  ・書庫「大和三山」:ブログ『かごしまのさくらじまやま』
  https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/35064468.html
  ・書庫「大和三山」:ブログ『ひらききのみみなしやま』
  https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/35070835.html

●日向国の大和三山を日向三山としないで、邪馬台国三山としたのには、当然、理由がある。日向国は広い。少なくとも三世紀に、日向国が邪馬台国・狗奴国・投馬国の三国に分かれていたことは、中国の史書「三国志」(魏志倭人伝)が明らかにしている通りである。「三国志」(魏志倭人伝)が案内する倭国三十国は、次のように案内される。
  【渡海三国】
    ・狗邪韓国・対馬国・壱岐国
  【北九州四国】
    ・末廬国・伊都国・奴国・不弥国
  【中九州二十国】
    ・斯馬国・巳百支国・伊邪国・都支国・邇奴国・好古都国・不呼国
    ・姐奴国・対蘇国・蘇奴国・呼邑国・華奴蘇奴国・鬼国・為吾国・
    ・鬼奴国・邪馬国・躬臣国・巴利国・支惟国・烏奴国・(奴国)
  【南九州三国】
    ・投馬国・邪馬台国・狗奴国

●邪馬台国三山はそのうちの邪馬台国に存在する。だから、邪馬台国三山と命名した次第である。もちろん、その邪馬台国三山のレプリカが大和三山、
  ・畝傍山(199.2m)
  ・香具山(152.4m)
  ・耳成山(139.7m)
だと言うことになる。

◎そういうふうに考えると、自然と、三輪山と大和三山の関係が見えて来る。それは、もちろん、硫黄島と邪馬台国三山との関係と同じだと言うことである。大和国一宮が大神神社であり、大神神社の御神体が三輪山であると言うことは、宗教的に大和国を支配しているのが大神神社だと言うことである。

◎そのことは、日向国では硫黄島が宗教的聖地であることを意味する。そして、邪馬台国を宗教的に支配しているのが硫黄島の神、出雲神、大物主大神だと言うことになる。それが三輪山と大和三山の関係と言うことになる。

◎だから、正式に大和三山を眺める場所は、三輪山山頂だと言うことになる。その景色と言えば、一番前、右手に耳成山が存在し、次に香具山が左手に出現し、もっとも奥、耳成山と香具山のあいだに、畝傍山が存在する。そういう風景である。

◎もちろん、同じ風景が日向国にも存在する。一番手前に存在するのがきれいな三角錐の開聞岳で、硫黄島からは桜島や霧島山は見えない。しかし、経験から開聞岳の左手に桜島が存在し、その奥、右手に霧島山が存在することは判っている。

◎実際、開聞岳に登ると、天気が良ければ、南西方向に硫黄島が遠望される。北東方向には錦江湾に桜島が浮かんで見える。その桜島の右手に霧島山が遠望される。ただ、余程、天気が良くないと見えない。

◎ちなみに、硫黄島から開聞岳までは直線距離で48辧開聞岳から桜島山までは47辧開聞岳から霧島山までは87劼△襦

◎現在、三輪山山頂はほとんど眺望は無い。代わりに、大美和展望所から眺める大和三山がその代用となるのではないか。大和三山がもっとも美しく見えるところの一つが大美和展望所だとされる。三輪山山頂からの眺望も、これに近いものだと想像される。

◎ただ、三輪山信仰は神仏習合のそれであったことを忘れてはなるまい。その神と佛が分離させられた結果、多大なものを三輪山信仰は喪失している。すでに、三世紀に、硫黄島で三輪山信仰は神仏習合の宗教であった。それを十九世紀になって分離したところで、得るものは少ないし、失った文化は途方も無いほど大きいと言わざるを得ない。

◎神仏習合の歴史は三世紀まで遡ることができる。したがって1800年もの歴史が存在する。それに対して、神仏分離令が発せられたのは、100年ほど昔の話でしかない。

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