○『中国仏教が神仏混淆であること~その一~』で中国佛教四大名山の話をし、『中国仏教が神仏混淆であること~その二~』では中国の五岳の話をした。今回は中国仏教の五山の話をしたい。
○日本では五山は有名だし、誰でも知っている。念の為に、ウィキペディアフリー百科事典が案内する五山から紹介したい。
五山
五山制度(ござんせいど)とは、中国・日本における寺格の一つ。日本においては、主に臨済宗の
制度であった。上位より、五山・十刹・諸山・林下に区分された。
【概要】
もとは南宋の寧宗がインドの5精舎10塔所(天竺五精舎)の故事に倣って径山・霊隠・天童・浄慈・
育王の5寺を「五山」として保護を与えたのが由来と言われている。鎌倉時代後期には日本にも禅宗の
普及に伴って広まるようになり、正安元年(1299年)には鎌倉幕府執権北条貞時が浄智寺を「五山」
とするように命じたのが日本における最古と伝わる。
【鎌倉時代】
鎌倉幕府の五山制度については詳細は明らかではないものの、鎌倉の建長寺・円覚寺・寿福寺及び
京都の建仁寺の4ヶ寺が「五山」に含まれていたと考えられている。同様に後醍醐天皇の建武の新政に
おいても「五山」が制定され、南禅寺と大徳寺の両寺が五山の筆頭とされ、東福寺と建仁寺が含まれ
ていた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/五山
○日本では五山は有名だし、誰でも知っている。念の為に、ウィキペディアフリー百科事典が案内する五山から紹介したい。
五山
五山制度(ござんせいど)とは、中国・日本における寺格の一つ。日本においては、主に臨済宗の
制度であった。上位より、五山・十刹・諸山・林下に区分された。
【概要】
もとは南宋の寧宗がインドの5精舎10塔所(天竺五精舎)の故事に倣って径山・霊隠・天童・浄慈・
育王の5寺を「五山」として保護を与えたのが由来と言われている。鎌倉時代後期には日本にも禅宗の
普及に伴って広まるようになり、正安元年(1299年)には鎌倉幕府執権北条貞時が浄智寺を「五山」
とするように命じたのが日本における最古と伝わる。
【鎌倉時代】
鎌倉幕府の五山制度については詳細は明らかではないものの、鎌倉の建長寺・円覚寺・寿福寺及び
京都の建仁寺の4ヶ寺が「五山」に含まれていたと考えられている。同様に後醍醐天皇の建武の新政に
おいても「五山」が制定され、南禅寺と大徳寺の両寺が五山の筆頭とされ、東福寺と建仁寺が含まれ
ていた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/五山