○白居易の「香炉峰下新卜山居草堂初成偶題東壁」詩も、廬山を彩る詩として、名高い。ただ、中国と日本では、どうも、白居易の「香炉峰下新卜山居草堂初成偶題東壁」詩が別物らしい。
○中国で、白居易:「香炉峰下新卜山居草堂初成偶題東壁」詩と言えば、次の詩がヒットする。
香鑪峯下、新卜山居、草堂初成、偶題東壁五首
五架三間新草堂
石階桂柱竹編牆
南簷納日冬天暖
北戸迎風夏月凉
灑砌飛泉纔有點
拂䆫斜竹不成行
來春更葺東廂屋
祇閤蘆簾着孟光
○もともと、白居易:「香炉峰下新卜山居草堂初成偶題東壁」詩は、五首が存在する。その冒頭詩が、上記の『五架三間新草堂』詩である。だから、中国では、白居易:「香炉峰下新卜山居草堂初成偶題東壁」詩と言えば、この詩だと言うことになる。当たり前のことである。
○ただ、日本では、白居易:「香炉峰下新卜山居草堂初成偶題東壁」詩と言えば、何と言っても、次の詩であろう。
【原文】
香鑪峯下、新卜山居、草堂初成、偶題東壁
白居易
日高睡足猶慵起
小閤重衾不怕寒
遺愛寺鐘欹枕聽
香鑪峰雪撥簾看
匡廬便是逃名地
司馬仍爲送老官
心泰身寧是歸處
故郷何獨在長安
【書き下し文】
香鑪峰下、新たに山居を卜し、草堂初めて成る、偶、東壁に題す。
白楽天
日高く睡り足るも、猶ほ起くるに慵く、
小閣に衾を重ねて、寒を怕れず。
遺愛寺の鐘は、枕を欹てて聽き、
香鑪峰の雪は、簾を撥げて看る。
匡廬は便ち是れ、名を逃るるの地、
司馬は仍ほ老いを送るの官爲り。
心泰く身寧きは、是れ歸する處、
故は何ぞ獨り長安にのみ在らんや。
【我が儘勝手な私訳】
廬山の西部、香炉峰の麓に、新しく山居を計画し、その草堂がやっと出来上がった。
その草堂の東壁に、偶々、記念として書いた詩。
白居易
日が高くなるまで寝て、睡眠は十分足りたのだが、冬の朝は起きるのが何時も億劫である。
新たに成った草堂は小屋ながら布団を重ねて寝たので、寒さも全く感じず、快適であった。
香炉峰の向かい側にある遺愛寺の朝を告げる鐘の音を、寝たままで聴いたし、
香炉峰の雪だって、簾を持ち上げると、布団の中から見ることが出来る。
此処、廬山は隠逸の住処だから、世間を離れて住むのに最も似つかわしい地だし、
私の役職、司馬(長官補佐)だって、老人が余生を送るのにふさわしい官職だ。
心が安泰にして、身が安寧だという境遇は、本来、人が最も望むところである。
安住の地、故郷と言うのは、どうして都長安だけに在ろうか。この草堂こそが私の故郷なのだ。
○正確には、『日高睡足猶慵起』詩は、白居易:「香炉峰下新卜山居草堂初成偶題東壁」詩の四番目に位置する詩である。ただ、日本では、清少納言「枕草子」に『香炉峰の雪』(第二百九十九段)があって、広く人口に膾炙している。
香炉峰の雪(「枕草子」:第二百九十九段)
雪のいと高う降りたるを例ならず御格子まゐりて、炭びつに火おこして、物語などして集まりさぶ
らふに、「少納言よ、香炉峰の雪いかならむ。」と仰せらるれば、御格子上げさせて、御簾を高く上
げたれば、笑はせたまふ。人々も「さることは知り、歌などにさへ歌へど、思ひこそよらざりつれ。
なほ、この官の人にはさべきなめり。」と言ふ。
○清少納言の自慢話が何とも鼻持ちならない。それでも、この話に拠って、日本では、白居易の「香炉峰下新卜山居草堂初成偶題東壁」詩と言えば、『日高睡足猶慵起』詩と言うことになってしまった。
○「香炉峰下新卜山居草堂初成偶題東壁」詩には、白居易の草堂の落成を喜ぶ気持ちと、江州(現江西省九江市)の司馬に左遷された悲哀が混在している。白居易五十四歳のことである。任地、杭州も白居易にとって理想郷だったが、廬山もまるで同じである。白居易の杭州については、以下を参照されたい。
・書庫「白居易の愛した佛都・杭州」:34個のブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/folder/1219352.html?m=l&p=1
○前回案内した蘇軾「題西林壁」詩は、西林寺で詠まれた詩であったが、その奥に存在するのが東林寺であり、香炉峰である。従って、「香炉峰下新卜山居草堂初成偶題東壁」詩の香炉峰は、北香炉峰の謂いである。蘇軾が西林寺で「題西林壁」詩を詠じたのは、白居易のおよそ二百年後のことである。当然、蘇軾の念頭には、先人白居易への畏敬と憧憬がある。