○白居易は、こよなく廬山を愛していた。だから、白居易には多くの廬山作品が存在する。折角なので、そういう白居易の廬山作品のいくつかを見ておきたい。
○前回、「香炉峰下新卜山居草堂初成偶題東壁」詩を案内した。白居易が営んだ草堂は、「香炉峰下」だったと言う。この香炉峰は、北香炉峰を指し、現在の東林寺あたりになる。陶淵明が「飮酒二十首・其五」詩で、
悠然見南山 悠然として南山を見る
山氣日夕佳 山気 日夕に佳し
飛鳥相與還 飛鳥 相ひ与に還る
と詠じた南山の麓に存在するのが、香炉峰である。陶淵明記念館から香炉峰までは、およそ10劼曚匹任△襦
○白居易は、その香炉峰下に庵を結んだ。尤も、当時、白居易は江州(現江西省九江市)司馬だったわけだから、時折、訪れる草庵だったに違いない。
○白居易が、「香鑪峯下、新卜山居、草堂初成、偶題東壁」詩で、
遺愛寺鐘欹枕聽 遺愛寺の鐘は、枕を欹てて聽き、
香鑪峰雪撥簾看 香鑪峰の雪は、簾を撥げて看る。
と詠じた遺愛寺は、廬山滞在中、白居易が頻繁に訪れた寺であったらしい。白居易には、その遺愛寺を詠った五言絶句の佳詩がある。
【原文】
遺愛寺
白居易
弄石臨溪坐
尋花繞寺行
時時聞鳥語
處處是泉聲
【書き下し文】
石を弄び、谿に臨みて坐し、
花を尋ねて、寺を遶りて行く。
時時、鳥語を聞くに、
処処、是れ泉声のあり。
【我が儘勝手な私訳】
朝の法要後は、数珠を手にしたまま、渓谷に向かって座ったり、
季節の花を探し求めて、遺愛寺の近隣を彷徨したりする。
何時だって、ここでは林間から鳥の鳴き声が聞こえて来るし、
あちらからこちらからと、渓流の水音だって木霊している。
○ここには、白居易の信仰心に支えられた無上の満足と安心がある。白居易が廬山の風景の中にすっかり、融け込んでいるのが判る。おそらく、それが、陶淵明の言う、
此中有眞意 此の中に眞意有り。
様なのであろう。
○廬山とは、何か。そういうものを追い求めて、遙々、中国江西省の廬山を訪れた。まさしく、廬山は陶淵明や李白や白居易、蘇軾の詩中に存在すると理解した。なぜなら、陶淵明も李白も白居易、蘇軾も、廬山とは何かを追い求めて、作詩しているのだから。
○廬山へ行く前に、いろいろ調べて出掛けた。しかし、廬山を訪れ、且つ廬山山中にあっても、廬山の正体はなかなか見えて来ない。それは、蘇軾が「題西林壁」詩で言う、
不識廬山真面目 廬山の真面目を識しらざるは、
只縁身在此山中 只だ身の此の山中に在るに縁る。
状況だったのかも知れない。
○日本へ帰り、再度、廬山について、いろいろと考えて、初めて廬山が見えて来たような気がする。陶淵明や李白、白居易、蘇軾など、先人に教わることは多い。
○松尾芭蕉に、
閑さや岩にしみ入る蝉の声
の佳句がある。斎藤茂吉や小宮豊隆は、「蝉の声」に拘泥して止まないけれども、芭蕉に言わせれば、そんなことはどうだって良いのである。もともと、「蝉の声」自体が読経の声の擬えに過ぎない。
○そういう心境に達しない限り、芭蕉句は理解できない。詳しくは、以下を参照されたい。
・書庫「奥細道俳諧事調」:『閑さや岩にしみ入る蝉の声ー句解』1~12
http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/folder/1131267.html?m=l&p=2
○白居易が「遺愛寺」詩で聞いている『鳥語・泉声』にしたところで、単なる『鳥語・泉声』ではあるまい。間違いなく、それは佛様の声である。それが廬山の廬山たる所以である。