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韋元旦:奉和立春遊苑迎春應制

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○立春の詩を案内しているが、今回、案内するのは、韋元旦の『奉和立春遊苑迎春應制』詩である。
  【原文】
      奉和立春遊苑迎春應制
          韋元旦
    灞涘長安恆近日
    殷正臘月早迎新
    池魚戲葉仍含凍
    宮女裁花已作春
    向苑雲疑承翠幄
    入林風若起青苹
    年年斗柄東無限
    願挹瓊觴壽北辰

  【書き下し文】
      立春に、苑に遊び、春を迎ふるに、應制に奉和す
          韋元旦
    灞涘、長安は、恆に日に近く、
    殷正、臘月は、早くも新を迎ふ。
    池魚は、葉に戲れ、仍て凍りを含み、
    宮女は、花を裁ち、已に春を作す。
    苑に向へば、雲は翠幄を承るかと疑ひ、
    林に入れば、風は青苹を起こすが若し。
    年年、斗柄は、東に無限にして、
    願はくは瓊觴に挹つて、北辰を壽せん。

 【我が儘勝手な私訳】
      立春の日、外苑へ遊び、春を祝うに当り、勅命に従って作った詩
          韋元旦
    長安の東、灞水の畔は、いつも太陽が降り注ぎ、
    殷暦正月(旧暦十二月)、臘月十二月は、早くも新しい年を迎えようとしている。
    池の魚は、動き出して、浮き葉を揺すって、寒さが和らぎ、
    宮廷の官女たちは、彩花を切り出して、すっかり春の準備を整えている。
    立春の日、外苑へ向かうと、春霞が緑の山々に懸かったかのように
    立春の日、林の中へ入ると、春風が浮草を揺らして吹いて行くのが判る。
    毎年、春分の日には、北斗七星の柄は、決まって真東を向くのだから、
    立春の日には、玉杯になみなみと酒を注いで、北極星に長寿を祈願したいものだ。

○韋元旦も、日本では、ほとんど馴染みの無い詩人である。ただ、日本のウィキペディアフリー百科事典には、韋元旦項目が存在する。
      韋元旦
   韋 元旦(い げんたん、生没年不詳)は、中国・唐の詩人。本貫は京兆郡万年県(陝西省西安
  市)。
   進士に及第して東阿県(山東省東平県の北)の尉となり、左台監察御史に進んだが、則天武后の寵
  臣・張易之の姻戚だったため、張易之の失脚とともに、感義県(広西チワン族自治区藤県の西)の尉
  として流された。しかし舅が中宗の皇后・韋氏の姻戚だったため、その取り成しで罪を許され、主客
  員外郎から中書舎人に至った。
   作品に「興慶池(こうけいち)にて宴に侍す 応制」がある。
  https://ja.wikipedia.org/wiki/韋元旦

○中国の検索エンジン百度の百度百科が案内する韋元旦は、次の通り。
      韦元旦
   韦元旦,京兆万年人。擢进士第,补东阿尉,迁左台监察御史。与张易之为姻属。易之败,贬感义
  尉。后复进用,终中书舍人。与沈佺期友善。
   擢进士第,补东阿尉,迁左台监察御史。与张易之为姻属。易之败,贬感义尉。后复进用,终中书舍
  人。
  https://baike.baidu.com/item/韦元旦/10084240?fr=aladdin

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