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陸游:戊辰立春日

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○前回案内した陸游の『玉楼春·立春日作』詞の成立は、紹興32年(1162年)で、陸游47歳の時の作品であった。また、前々回案内した陸游の『立春日』詩は、瓤泰二年(1202年)の作品で、陸游が77歳の時のものであった。

○それに対して、今回の陸游『戊辰立春日』詩の成立は、嘉定元年(1208年)だと思われるから、陸游85歳の時のことである。翌年、嘉定2年(1209年)に、陸游は亡くなっている。
  【原文】
      戊辰立春日
         陸游
    臥聽城門出土牛
    羅旛應笑雪蒙頭
    但須晨起一卮酒
    聊洗人間千種愁
    處處樓台多俠客
    家家船舫待春遊
    梅花未遍枝南北
    定為余寒得小留

  【書き下し文】
      戊辰立春日
         陸游
    臥して聽く、城門より土牛の出づるを、
    羅旛、應に笑ふべし、雪蒙の頭なるに。
    但だ須らく晨起し、一卮の酒、
    聊か洗ふべし、人間、千種の愁ひを。
    處處、樓台、俠客の多く、
    家家、船舫、春遊に待す。
    梅花の未だ遍く南北に枝ならざるは、
    定めて、余寒の小留を得るに為らん。

  【我が儘勝手な私訳】
      嘉定元年(1208年)立春の日に
         陸游
    85歳の立春、町に土牛が繰り出す賑わいを寝て聞くことである、
    新春に頭に飾る羅旛だって、もう笑うしかない、何故なら白髪頭なのだから。
    しかし、立春の朝起きたら、当然、一杯の酒を頂戴して、
    少しだけでも、娑婆世界の多くの憂愁や苦悩を洗い流すべきである。
    あちらこちらの高殿や楼台には、食客や任侠の徒が幾らでも存在するし、
    多くの家々には、立派な船があって、春の外遊に出るのを待っている。
    梅の木が、未だ十分に花を枝全体に咲かせていないのは、
    きっと、冬の寒さがまだ留まっていて、春が完全に訪れていないからだろう。

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