○陸游の『立春日』詩に引き続き、案内するのが、陸游の『玉楼春·立春日作』詞である。
【原文】
立春日作
陸游
三年流落巴山道
破盡青衫塵滿帽
身如西瀼渡頭雲
愁抵瞿塘關上草
春盤春酒年年好
試戴銀旛判醉倒
今朝一歳大家添
不是人間偏我老
【書き下し文】
立春の日に作る
陸游
流落すること三年、巴山の道、
青衫は破れ盡くし、塵は帽に滿つ。
身は、西瀼渡の頭の雲の如く、
愁ひは瞿塘、關上の草に抵る。
春盤や春酒の、年年に好く、
試みに銀旛に戴せれば、醉ひて倒るるに判る。
今朝一歳、大家添ふとするも、
人間、偏へに我が老いを是ならずとす。
【我が儘勝手な私訳】
都から流浪すること三年、辿り着いたのが巴山の山道だった、
新品だった書生服は悉く破れ尽くし、帽子にも塵埃が積もっている。
私の身は、重慶西瀼渡の上に浮かぶ浮雲のように儚く、
私の憂愁は、瞿唐峡の関上に生える春草のように根強い。
春巻や春酒は、一年一年立派になると言うけれども、
試みに立春を飾る銀旛の下で戴くと、酔っ払って倒れてしまった。
立春の今朝、大概の家では一歳歳を取ると言うけれども、
世の中、誰もが自分が歳を取ることを認めているわけではない。
○中国の検索エンジン百度の百度百科には、「玉楼春·立春日作」項目が存在する。
玉楼春·立春日作
《玉楼春·立春日作》是南宋词人陆游四十七岁任夔州通判时所写。作者通过这首词写出心底抑郁之
情,抒发报国无门之愤。
【创作背景】
这首词是陆游四十七岁任夔州通判时所写的。他到夔州到写这首词时不过一年多,却连上岁尾年头,
开口便虚称“三年”,且云“流落”,从一入笔就已有波澜之情 。次句以形象描写“流落”二字。
“青衫”言官位之低 ,“破尽”可见穷之到了极点“尘满帽”描写出作者在道途中风尘仆仆,行戌未
定的栖遑之态简简单单的七个字就活画出一个沦落天涯的诗人形象,与“细雨骑驴入剑门”异曲同工。
三、四句仍承一、二句生发。身似浮云,飘流不定;愁如春草,划去还生。以“西瀼渡头”、“瞿塘关
上”为言者,不过取眼前地理景色,与“巴山道”三字相对应而已这上片四句,把抑郁潦倒的情怀写得
如此深沉痛切,不了解陆游遭遇,是很难掂量出这些句子中所涵蕴的感情分量来的。
https://baike.baidu.com/item/玉楼春·立春日作/15877841?fr=aladdin
○これを読むと、陸游の『玉楼春·立春日作』詞が作られた背景がよく判る。舞台は重慶だとある。2015年5月に重慶を訪問した。それが以下のブログである。
・書庫「坂の町・重慶」:18個のブログ
https://blogs.yahoo.co.jp/sigureteikamoyama/folder/1272561.html?m=l&p=1