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高適:淇上酬薛三據兼寄郭少府微

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○高適の詩を、『同諸公登慈恩寺浮圖』詩から、『田家春望』詩、『詠史』詩、『銅雀妓』詩、『宋中』詩、『夜別韋司士』詩、『送李少府貶峡中王少府貶長沙』詩、『醉後贈帳九旭』詩、『人日寄杜二拾遺』詩、『封丘作』詩、『別韋參軍』詩、『登広陵栖霊寺塔』詩と、続けている。

○今回案内するのは、高適の『淇上酬薛三據兼寄郭少府微』詩である。五言古詩で、四十行もの長詩である。とにかく、うんざりするほど、長い。お陰で、今日、一日が終わってしまった。

  【原文】
      淇上酬薛三據兼寄郭少府微
          高適
    自從別京華,我心乃蕭索。 十年守章句,萬事空寥落。
    北上登薊門,茫茫見沙漠, 倚劍對風塵,慨然思衛霍。
    拂衣去燕趙,驅馬悵不樂。 天長滄州路,日暮邯鄲郭,
    酒肆或淹留,漁潭屢棲泊。 獨行備艱險,所見窮善惡。
    永願拯芻蕘,孰雲幹鼎鑊! 皇情念淳古,時俗何浮薄。
    理道資任賢,安人在求瘼。 故交負靈奇,逸氣抱謇諤,
    隱軫經濟具,縱建安作, 才望忽先鳴,風期無宿諾。
    飄搖勞州縣,迢遞限言謔。 東馳眇貝丘,西顧彌虢略。
    淇水徒自流,浮雲不堪讬。 吾謀適可用,天路豈寥廓。
    不然買山田,一身與耕鑿, 且欲同鷦鷯,焉能志鴻鶴。

  【書き下し文】
      淇上にて、薛三據に酬え、兼ねて、郭少府微に寄す
          高適
    自ら京華にて別れてより、我が心は、乃ち、蕭索す。
    十年、章句を守るも、萬事は空しく寥落す。
    北上して薊門に登り、茫茫とした沙漠を見る。
    劍に倚りて、風塵に對し、慨然として、衛霍を思ふ。
    衣を拂つて、燕趙を去り、馬を驅つて、悵みて樂しまず。
    天は、滄州路に長く、日は、邯鄲郭に暮る。
    酒肆に、或は淹留し、漁潭に、屢ば棲泊す。
    獨行して、艱險に備へ、見る所、善惡を窮む。
    永く芻蕘を拯くるを願ひ、孰か鼎鑊を干すを云はん。
    皇情は、古を淳くするを念ひ、時俗の、何ぞ浮薄ならん。
    理道は、賢を任ずるを資り、安人は、瘼を求むるに在り。
    故交は、靈奇を負ひ、逸氣は、謇諤を抱く。
    經濟の具を隱軫し、建安の作を縱す。
    才望は、忽ち先鳴し、風期は、宿諾すること無し。
    飄搖として、州縣を勞し、迢遞として、言謔を限る。
    東に馳すれば、貝丘を眇み、西に顧みれば、虢略の彌し。
    淇水は徒に自ら流れ、浮雲は託するに堪へず。
    吾れ、適くに用ふべく謀るに、天路は、豈に寥廓ならんや。
    然らず、山田を買ひ、一身の、耕鑿を與すこと。
    且に鷦鷯と同じからんと欲して、
    焉んぞ能く鴻鶴の志ならんや。

  【我が儘勝手な口語訳】
      淇水の畔にて、薛據に応え、併せて、郭微に贈る詩
          高適
    自分から都長安を離れてから、
    私の心はすっかり、荒れ果てたものとなってしまった。
    役人になる為、十年以上も、学問を続けて来たが、
    全てが無駄になり、今は、寂寞とした心持ちで居る。
    北上して薊門まで行き、仕事に就いて、
    その際、茫漠とした砂漠を初めて見た。
    剣を頼りに、戦伐に対峙し、
    憤り嘆いては、嘗ての衛青や霍去病の事績を思い起こした。
    意を決して、燕国や趙国を立ち去り、
    馬を駆るも、悔恨により、全く楽しくない。
    天は隠者の居住する滄州路まで続き、
    太陽は、仙人の住む邯鄲城へと暮れて行く。
    酒屋に長長と逗留することもあれば、
    漁をするのに、屡々、何日も沼地で生活する。
    単独行をして、艱難が来ることに備え、
    人の行いを見て、善悪がどういうことかを理解しようとする。
    長年、窮民を助けることを願い、人々が罪を犯さないことを希求する。
    皇帝の思いは古代に帰ることであって、
    今の世が、何と軽薄であることを思わざるを得ない。
    道を治めるには、賢者を登用するに如くは無く、
    人を安らかにするには、疾苦を取り除くに如くは無い。
    薛據と郭微との昔からの交友は、特別なものであって、
    薛據と郭微のすぐれた気質は、人を正直にする。
    薛據と郭微は、経世済民の才能を隠し持ち、
    薛據と郭微は、建安風格の詩文を縦にする。
    薛據と郭微のすぐれた才能や人望は、すぐさま世間に知れ渡り、
    薛據と郭微のすぐれた風骨や節操は、躊躇するところがない。
    薛據と郭微は、飄々として、州県の労務に従事し、
    薛據と郭微は、前途が遙遠として、表現は慎重である。
    東へ馬で駆けると、薛據の居る貝丘が彼方に望み見え、
    西を振り返ると、郭微の住む虢略の町が遠くに見える。
    淇水は、ただただ流れ下るばかりで頼り無いし、
    浮雲は、思いを託したところで、仕方が無い。
    私は何とかして、薛據や郭微のところに行こうと目論むのだが、
    それを実行することは、到底、適わない。
    田畑を買い求めて、
    生涯、畑を耕し井戸を掘ることが望むところではない。
    それはちょうど、営巣の小鳥と同じでありたいと願い、
    どうして、大志を抱く鳳凰であることができようか。

○つくづく、高適が道士であることを痛感させられる。これはもう玄言詩だと言うしかない。訳すのは大変だが、反面、面白いことも間違いない。大変だから止めたい気持ちと、楽しくて止められない気持ちとが交錯する。それでも止められないのは、高適と言う道士を知りたいからに他ならない。

○中国の検索エンジン百度の『百度百科』の高適項目には、次のように載せる。
      高适 (唐代边塞诗人)
   高适(704—765年),字达夫,一字仲武,渤海蓨(今河北沧州)人,后迁居宋州宋城(今河南商丘
  睢阳)。安东都护高侃之孙,唐代大臣、诗人。曾任刑部侍郎、散骑常侍,封渤海县候,世称高常侍。
  于永泰元年正月病逝,卒赠礼部尚书,谥号忠。
   作为著名边塞诗人,高适与岑参并称“高岑”,与岑参、王昌龄、王之涣合称“边塞四诗人”。其诗
  笔力雄健,气势奔放,洋溢着盛唐时期所特有的奋发进取、蓬勃向上的时代精神。有文集二十卷。
  https://baike.baidu.com/item/高适/15618?fr=aladdin

○また、岑参項目には、次のようにある。
      岑参
   岑参(约715-770年),唐代边塞诗人,荆州江陵(现湖北江陵),太宗时功臣岑文本重孙,后徙居
  江陵。岑参早岁孤贫,从兄就读,遍览史籍。唐玄宗天宝三载(744年)进士,初为率府兵曹参军。后
  两次从军边塞,先在安西节度使高仙芝幕府掌书记;天宝末年,封常清为安西北庭节度使时,为其幕府
  判官。代宗时,曾官嘉州刺史(今四川乐山),世称“岑嘉州”。大历五年(770年)卒于成都。
   岑参工诗,长于七言歌行,代表作是《白雪歌送武判官归京》。现存诗三百六十首。对边塞风光,军
  旅生活,以及少数民族的文化风俗有亲切的感受,故其边塞诗尤多佳作。风格与高适相近,后人多并称
  “高岑”。有《岑参集》十卷,已佚。今有《岑嘉州集》七卷(或为八卷)行世。《全唐诗》编诗四卷。
  https://baike.baidu.com/item/岑参/211501

○高適と岑参とは、同時代の詩人で、辺塞詩人として一緒に扱われ、「高岑」と称されることが多いと言う。しかし、こうやって、高適と岑参の詩を訳してみると、高適と岑参とでは、その詩風が全然違うことが判って面白い。

○すでに、岑参の詩は25作品を訳した。それに対して、高適の詩は、まだ13作品しか訳していない。もう少し訳し続けてから、詳しい判断をしたい。

●なお、『百度百科』では、「淇上酬薛三据兼寄郭少府微」詩について、次のように案内する。
      淇上酬薛三据兼寄郭少府微
   《淇上酬薛三据兼寄郭少府微》是高适早年所作的一首五言古诗。诗中叙述了屡屡求仕不遇的坎坷经
  历和任贤安民的政治理想,赞扬了友人的卓越才华和高贵品质,抒发了诗人怀才不遇、报国无门的悲愤
  之情。全诗以朴素自然的语言向友人吐露心曲,言简意赅,感情真挚而又动人。
  https://baike.baidu.com/item/淇上酬薛三据兼寄郭少府微

●別に、『捜狗百科』では、次のように案内する。
      淇上酬薛三据兼寄郭少府微
   这是高适早年的一篇重要作品,约作于公元734年(开元二十二年)春由蓟北南返宋中途中的淇水之
  滨。时年诗人三十五岁。诗中借与薛据和郭微的酬唱之机,叙述和披露了自己大半生的坎坷遭遇,“永
  愿拯刍荛,孰云干鼎镬”的高尚理想和节操,并表现了自己推崇“建安”诗风的创作趣尚,尽情抒发了
  一腔郁勃不平之情。它是高适前半生思想和行事的总结,是后半生进入仕途后努力“救苍生之疲弊”
  (高适《谢上剑南节度使表》)的思想基础。
  https://baike.sogou.com/h63493084.htm?sp=Snext&sp=l155607925

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