○高適の詩を、『同諸公登慈恩寺浮圖』詩から、『田家春望』詩、『詠史』詩、『銅雀妓』詩、『宋中』詩、『夜別韋司士』詩、『送李少府貶峡中王少府貶長沙』詩、『醉後贈帳九旭』詩、『人日寄杜二拾遺』詩、『封丘作』詩、『別韋參軍』詩と続けている。
○続けて『淇上酬薛三據兼寄郭少府微』詩を取り上げようと、インターネット検索をしていたところ、
・高適:人日寄杜二拾遺 - Yahoo!ブログ
とか、
・高適:登広陵栖霊寺塔 ( 詩 ) - 古代文化研究所 - Yahoo!ブログ
がヒットして驚いた。
○『高適:人日寄杜二拾遺』詩は、先日、訳したばかりである。もうこうやって検索に引っ掛かるのである。『高適:登広陵栖霊寺塔』詩は、2014年10月10日にブログに載せている。
・書庫「痩西湖・个園」:ブログ『高適:登広陵栖霊寺塔』
https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/39161314.html
○当時、揚州の大明寺に、2013年10月17日、2014年6月21日と、続けて2回参詣している。揚州の大明寺が、鑑真和上の故寺であることは、誰でも知っている。そういう意味で、どうしても揚州の大明寺には、一回は参拝したかった。
○実際、鑑真和上の揚州を訪れてみると、見所も多く、ある意味、中国文化の中心であった時代が揚州にはある。それで、続けて揚州を訪問することとなった。詳しくは、以下のブログに書いている。
・書庫「鑑真和上の揚州」:30個のブログ
https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/folder/1241671.html?m=l&p=1
・書庫「痩西湖・个園」:107個のブログ
https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/folder/1255211.html?m=l&p=1
○栖霊寺は、大明寺の旧名であり、別名である。現在でも、大明寺には栖霊寺塔が建っている。高適も揚州を訪れ、大明寺へ参拝し、栖霊寺塔を眺めたかと思うと、楽しくなる。
【原文】
登広陵栖霊寺塔
高適
淮南富登臨 茲塔信奇最
直上造雲族 憑虚納天籟
迥然碧海西 獨立飛鳥外
始知高興盡 達與賞心會
連山黯吳門 喬木吞楚塞
城池滿窗下 物象歸掌內
遠思駐江帆 暮情結春靄
軒車疑蠢動 造化資大塊
何必了無身 然後知所退
【書き下し文】
広陵の栖霊寺塔に登る
高適
淮南は、登り臨めば富なり、
茲の塔は、最も信奇なり。
直上は雲族を造り、
憑虚は天籟を納る。
迥然として碧海の西、
獨立す、飛鳥の外。
始めて知る、高興の盡きるを、
與に達す、賞心の會。
連山は吳門を黯し、
喬木は楚塞を吞む。
城池は窗下に滿ち、
物象は掌內に歸す。
遠く思ふ、江帆の駐まれるを、
暮情、春靄の結ぶ。
軒車は蠢動を疑ひ、
造化は大塊を資す。
何ぞ必ずしも身無き了り、
然る後、退く所を知らんや。
【我が儘勝手な私訳】
広陵の栖霊寺塔へ登ると判るのだが、淮南は豊かな土地である。
また、この栖霊寺塔自体が本当に珍妙な建造物である。
栖霊寺塔の上には雲が出現するし、
栖霊寺塔からは天の声が聞こえて来る。
栖霊寺塔は東海の西に屹立し、
飛ぶ鳥の上に孤立して存在する。
その栖霊寺塔に登って見て始めて、歓喜は絶頂に達し、
歓楽の情を誰もが抱くに違いない。
長江の向こうには、呉国の山々が連なり、
高木の向こうには、楚国の辺塞が隠れている。
揚州城の西城堀である瘠西湖を窓から眼下に臨み、
あらゆるものが手に取るところに見えている。
ぼんやり、遙か彼方に帆船が浮かんでいるのを眺めていると、
夕暮れ時になって、春霞が次第にそれを覆い隠してしまった。
ここから眺めると、立派な屋根付き馬車だって、小さな虫の類にしか見えないし、
造化の神が大地を創造したことが実感出来る。
栖霊寺塔が、どうして必ずしも人生を終えた後の、
後生を知るだけのところだろうか。栖霊寺塔は現世を知る塔である。