○前回、文彦博詩作の『陌上桑』を見ながら、文彦博の『陌上桑』詩を理解するには、『詩経』の国風、鄘風篇の「桑中」詩を知るしかないと言う話をした。今回は、その『詩経』の国風、鄘風篇の「桑中」詩を見てみたい。
【原文】
詩經:國風·鄘風·桑中
爰采唐矣?沬之鄉矣。云誰之思?美孟姜矣。期我乎桑中,要我乎上宮,送我乎淇之上矣。
爰采麥矣?沬之北矣。云誰之思?美孟弋矣。期我乎桑中,要我乎上宮,送我乎淇之上矣。
爰采葑矣?沬之東矣。云誰之思?美孟庸矣。期我乎桑中,要我乎上宮,送我乎淇之上矣。
【書き下し文】
爰に唐を采る、沫の郷に。云に誰をか之れ思ふ、美なるかな孟姜。
我を桑中に期し、我を上宮に要し、我を淇の上に送る。
爰に麦を采る、沫の北に。云に誰をか之れ思ふ、美なるかな孟弋。
我を桑中に期し、我を上宮に要し、我を淇の上に送る。
爰に葑を采る、沫の東に。云に誰をか之れ思ふ、美なるかな孟庸。
我を桑中に期し、我を上宮に要し、我を淇の上に送る。
【我が儘勝手な私訳】
ここに、蔓草を摘んでいる、沫の郷に。誰のことを思っているのか、美しい若い姜は。
桑畑で私を待ってておくれ、上宮で私を求めておくれ、淇水の畔に私を送っておくれ。
ここに、麦を摘んでいる、沫の北に。誰のことを思っているのか、美しい若い弋は。
桑畑で私を待ってておくれ、上宮で私を求めておくれ、淇水の畔に私を送っておくれ。
ここに、葑を摘んでいる、沫の東に。誰のことを思っているのか、美しい若い庸は。
桑畑で私を待ってておくれ、上宮で私を求めておくれ、淇水の畔に私を送っておくれ。
○文彦博は、その『陌上桑』詩で、
陌上桑(北宋·文彦博詩)
佳人名莫愁,采桑南陌頭。
困來淇水畔,應過上宮游。
貯葉青絲籠,攀條紫桂鉤。
使君徒見問,五馬亦遲留。
と詠じる。つまり、その舞台は、淇水の畔であり、上宮だと言うことを明記している。
○それは、上記の『詩経』の国風、鄘風篇の「桑中」詩の舞台そのままであることが判る。判るように、文彦博は、その『陌上桑』詩を『陌上桑』詩としながらも、舞台は『詩経』の中に求めている。幾ら何でも、それには相当無理がある。
○『詩経』と楽府とでは、全てが違うと言うくらい、大きな違いがある。それを融合させようとする詩人の目論見は大したものだが、できた作品を読むと、極めて中途半端なものとなっている。それは、楽府の『陌上桑』詩ではないし、もちろん、『詩経』のそれでもない。
○なかなか詩作は難しい。特に、こういう典拠を持つ詩は、そうである。ここまで、『陌上桑』詩を、
¥綏(漢楽府诗)
陌上桑(曹操詩作)
o綏(魏文帝曹丕詩)
わ綏(魏國曹植詩)
ワ綏(呉均詩作)
陌上桑(王筠詩作)
э綏(王台卿詩作)
陌上桑 (唐代李白詩作)
陌上桑(陸龜蒙詩作)
陌上桑(北宋·文彦博詩作)
と見てきているが、並べて鑑賞すると、それがよく判る。