○先日、2013年12月12日、宮崎日々新聞第19面に、「中西進名誉教授(京都市立芸術大)に聞く」と題した一文が載った。前回に引き続き、それを検証してみたい。
○前回、『日向神話の起点となる天孫降臨の地は、なぜヒムカだったのでしょう。』について、検証したので、今回は『E径更瀘弯析辰慮興蕕呂匹海傍瓩瓩蕕譴泙垢。』について、検証したい。
○新聞記事では、『E径更瀘弯析辰慮興蕕呂匹海傍瓩瓩蕕譴泙垢。』について、中西進名誉教授が次のように答えている。
日本という国は移住民によって造られた国です。はるか昔、メラネシア辺りから旅立った海洋民は、
舟で日本にたどりつき、縄文文化を形成しました。時が流れ、今度は朝鮮半島から多くの人びとが流
入し、弥生文化を営みました。山の民、農耕の民が含まれていたのでしょう。メラネシアの原初的な
信仰には、浮遊する神秘的な力である「マナ」が見られます。日本では「モノノケ」などの信仰とし
て受け継がれているとみられます。一方で、朝鮮半島から移ってきた人たちは、上から降りてきて定
着する「カミ」の概念を持っていました。この二つが、日本の神話の中でミックスされています。そ
の中で神(カミ)が降りてくる天上他界観を持った人たちの物語が天孫降臨の神話です。命を懸けた
誇り高き冒険の末にたどり着いた人たちが日本を形作ったのです。その多様な移住民を受け入れなが
ら豊かになったのが日本です。現在の国境に基づく民族観は、国の成り立ちからすれば、非常に小さ
な考え方です。
○中西進名誉教授の回答は、言葉を選んだ慎重なものとなっている。これらはおよそ、現代の日本神話の研究成果であって、それは決して中西進名誉教授だけのものではないことが窺える。
○数年前までであれば、おそらく、私がこれに異論を唱えることもなかった。ただ、ここ数年、中国を訪れ続けていると、上記の考え方は一考せざるを得ない。それほど簡単に日本へメラネシアの原初的な信仰が移動して来ているわけではない。
○それに、『八百万(ヤオヨロズ)』と称される日本の神々にしたところで、決してそれは日本のオリジナルでは無い。そういう神々の概念そのものも、実は他所からもたらされたものであることが判る。
○確かに、朝鮮半島から多くの移住民があったことも史実である。しかし、それは5世紀から7世紀ころの話であって、弥生時代とするにはだいぶん誤差が生じる。
○大和国(現在の奈良県)を歩いてみると判るのだが、驚くべきことに、大和国は、大和国一の宮である大神神社を筆頭に、ほとんど出雲神の国である。何故か、古事記や日本書紀にはそういう記録が無い。
○そういう中で、陳寿の書いた「三国志」は、3世紀の日本を知る上で、貴重な文献史料となっている。中でも、「三国志」巻三十、魏書・烏丸鮮卑東夷伝・倭人の条(通称:魏志倭人伝)は、同時代の日本を詳細に記述する唯一無二の著作である。
○詳細とは言っても、わずか1984字に過ぎない。それでも、これしか当時の文献史料は無いわけであるから、これを無視することは誰にも出来ない。
○その「魏志倭人伝」を読むことは至難の業と言うしかない。1984字に誰もが悪戦苦闘し、何とか読もうとするけれども、誰も読み解くことが出来ないでいる。
○「魏志倭人伝」の主題は何か。そういうふうに考えれば、何とか「魏志倭人伝」を読み解くことが出来る。ただ、それだけでは、完全に読み解くことは難しい。
○もう一つ、大事な要件があって、それは、中国で「魏志倭人伝」は読まない限り、読み解くことはなかなか難しい。本来、「魏志倭人伝」は、「三国志」の一部であって、中国の書物なのである。幾ら日本流に読んだところで、それはあまりに無謀、無茶と言うものである。
○中国は広い。だから、中国の何処ででも読んで良いものではない。中国浙江省の会稽(現在の紹興)か東明(現在の寧波)あたりで読むのが望ましい。
○「魏志倭人伝」の主題は何か。それは『倭国三十国の全容』に他ならない。整理すると、次のようになる。
【渡海三国】
・狗邪韓国・対馬国・壱岐国
【北九州四国】
・末廬国・伊都国・奴国・不弥国
【中九州二十国】
・斯馬国・巳百支国・伊邪国・都支国・邇奴国・好古都国・不呼国
・姐奴国・対蘇国・蘇奴国・呼邑国・華奴蘇奴国・鬼国・為吾国・
・鬼奴国・邪馬国・躬臣国・巴利国・支惟国・烏奴国・(奴国)
【南九州三国】
・投馬国・邪馬台国・狗奴国
○つまり、三世紀に、まだ日本の中心は南九州に存在していたことが判る。旧日向国とは、「投馬国・邪馬台国・狗奴国」の謂いである。
○『E径更瀘弯析辰慮興蕕呂匹海傍瓩瓩蕕譴泙垢。』と質問されたら、それは霧島山だと答えるしかない。「投馬国・邪馬台国・狗奴国」の三国の中心に屹立する山が霧島山なのである。
○「古事記」と「日本書紀」が記載する天孫降臨の地の全記録を整理すると、次のようになる。
「古事記」 竺紫日向之高千穂之久士布流多気(つくしのひむかのたかちほのくじふるたけ)
「日本書紀」本文 日向襲之高千穂峯(ひむかのそのたかちほのたけ)
槵日二上天浮橋(くしひのふたがみのあまのうきはし)
一書 |淹臚眄虔槵觸之峯(つくしのひむかのたかちほのくじふるのたけ)
一書◆‘槵日高千穂之峯(ひむかのくしひのたかちほのたけ)
一書 日向襲之高千穂槵日二上峯天浮橋(ひむかのそのたかちほのくしひのふたがみの
たけのあまのうきはし)
一書ぁ‘映傾眄虔翕沙格覆劼爐のそのたかちほのそほりのやまのたけ)
○これらの記録を全て充足しない限り、そこは天孫降臨の地ではあり得ない。そんなところが幾つも存在するはずがない。全てを充足出来るのは、霧島山高千穂峰以外に無いのである。
○中西進名誉教授の抽象的な話は、机上の空論に過ぎない。実際、日向国に赴き、日向国を耕さない限り、日向国の文化である日向神話は掘り起こせない。一般論としての神話学も確かに大事だが、神話は決して絵空事ではないのである。古代人の魂が籠もっている。そう言う意味で、神話を読み解くことが大事なのではないか。
○折角、万葉学者、中西進名誉教授が遙々、宮崎まで来訪なさったのだから、一つくらい、土産話を差し上げるべきだろう。日向国は非常に面白いところです。ここには大和三山があります。そういう話である。
○「万葉集」には、有名な『大和三山』の歌がある。奈良県橿原市へ行くと、畝傍山・香具山・耳成山の大和三山を見ることが出来る。だから、誰もが大和三山は奈良県に存在すると信じて疑わない。
○しかし、あれはレプリカに過ぎない。第一、『大和三山』の名を冠する山が、標高200辰砲盻爾燭覆ぁ△△鵑幣山であると考える方がどうかしている。真実の大和三山は、次のようになる。
・畝傍山=霧島山(1700叩
・香具山=桜島山(1117叩
・耳成山=開聞岳(924叩
○真実の大和三山は、「万葉集」を読むことによって理解出来る。しかし、誰もそういうふうに「万葉集」を読まない。「万葉集」は宝の山なのに。実に勿体ない話である。