○高適の詩を32首ほど案内した。その際、高適の『薊門行五首』詩を考えるにあたって、「艷歌行」を5首、「代出自薊北門行」を4首、「陌上桑」を15首と見てきた。
○そうしているうちに、陳子昂に『薊丘覽古贈盧居士藏用七首(並序)』があることが判った。これも薊門行とか艷歌行、代出自薊北門行に関連する作品であることは否めない。ただ、そこまで案内する余裕がなかった。したがって、ここで見ておきたい。
【原文】
薊丘覽古贈盧居士藏用七首(並序)
陳子昂
丁酉歳,吾北征。出自薊門,歷觀燕之舊都,其城池霸異,跡已蕪沒矣。乃慨然仰嘆。
憶昔樂生、鄒子,群賢之游盛矣。因登薊丘,作七詩以志之。寄終南盧居士。
亦有軒轅之遺跡也。
軒轅台
陳子昂
北登薊丘望,求古軒轅台。
應龍已不見,牧馬空黃埃。
尚想廣成子,遺跡白雲隈。
【書き下し文】
薊丘覧古、盧居士蔵用に贈る七首(並びに序)
陳子昂
丁酉の歳、吾れ北征す。
薊門より出で、燕の舊都を歷觀すれば、其の城池に霸の異なり、
跡は已に沒して蕪し。乃ち慨然として仰ぎ嘆く。
昔、樂生や鄒子、群賢の游盛するを憶ふ。
因りて薊丘に登り、七詩を作り以て之を志し、終南の盧居士に寄す。
亦た軒轅の遺跡有り。
軒轅台
陳子昂
北薊丘に登り望めば、
古軒轅台を求む。
應龍は已に見ず、
牧馬は黃埃を空しくす。
尚ほ廣成子を想ふ、
遺跡は白雲の隈なり。
【我が儘勝手な私訳】
古代の燕の都、薊丘を訪れて昔を思い、盧居士蔵用に贈る詩七首(序も併せて)
武則天の神功元年(697年)に、私は北へ旅立った。古代の燕の都である薊の
北門から出て、燕の旧都を眺望すれば、薊城の堀には月が白く浮かび、城は完全に
廃墟と化していた。そこで呆然として空を眺めてただ嘆くしかなかった。
嘗て、樂毅や鄒衍などの天才がここで遊んでいたことを懐かしく思い浮かべた。
それで薊丘に登り、七詩を作ってそのことを表現し、終南山に居る盧居士に贈る。
河北涿鹿縣にある黃帝の軒轅台
陳子昂
北薊丘に登り望むと、
そこから軒轅台を見ることができる。
應龍を見ることはもうすでに無いけれども、
そこには牧場の馬が土煙をあげて走っているばかり。
せめて、廣成子の姿は無いかと探すが、
軒轅台が白雲の遥か彼方に建つばかり。