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中西進名誉教授に聞く~其の三~

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○もう一つ、気になることがあるので、、宮崎日々新聞、「中西進名誉教授(京都市立芸術大)に聞く」と題した一文について、もう少し述べておきたい。

○それは、『い錣燭靴燭舛蓮崙析叩廚鬚呂犬瓩箸垢覽紀の神話をどのように楽しめばよいでしょうか。』の質問に対しての返答である。宮崎日々新聞記事では、中西進名誉教授は、次のように答えている。

   神話を、はるか時代を隔てた物語として捉えるべきではありません。「海幸山幸」の物語を例にあ
  げましょう。漁労をなりわいとしていた海幸に、山で狩猟生活をしていた山幸が、お互いの道具であ
  る釣り針と猟具を交換しようと持ちかける。山幸は最終的に海と山、両方を手中に収めます。
   このエピソードは、より良い方への変化を求める者が得をするという、変動を前提とする経済の原
  則を示しているという解釈もできます。神話と現代社会はつながっているという見方をすれば、物語
  はさらに広がりを見せることでしょう。

○「海幸山幸」の物語を考える際、山幸彦(火遠理命)と海幸彦(火照命)とが兄弟であることは避けて通れない。はっきり言って、弟が兄を散々懲らしめる話が「海幸山幸」の物語であって、さほど、教育効果があるとも思われない。

○もともと、童謡ほど、残酷な話を残しているものは無いとも言われる。「海幸山幸」の物語は、弟が兄を征服する下克上の物語だとするしかない。

○ただ、神話で最も大事なのは、そういう残酷な話であっても、ある種の寓話を有する点にある。それなのに、中西進名誉教授は「海幸山幸」の物語を例に出しながら、そういう肝心の話をしない。

○山幸彦(火遠理命)と海幸彦(火照命)の話は、神代第二代の話となっている。初代の邇邇芸命が娶ったのは、大山津見神の娘、木花之佐久夜毘売であった。その邇邇芸命と木花之佐久夜毘売との間に誕生したのが海幸彦(火照命)であり、山幸彦(火遠理命)なのである。

○現代に於いて、大山津見神を斎き祀る神社は、伊予国一の宮の大山祇神社と、伊豆国一の宮三嶋大社が三島神の総本山とされる。しかし、大山津見神が伊予国や伊豆国に出現した話は聞かない。もともと、伊予国大山祇神社も伊豆国三嶋大社も、他所から勧請された神社に他ならない。大山津見神の地元は伊予国や伊豆国ではない。

○その大山津見神の故郷を辿ると、鹿児島県三島村硫黄島に辿り着く。つまり、大山津見神の故郷は鹿児島県三島村硫黄島となる。まさか、その娘、木花之佐久夜毘売が、何処か他所に居住したとも考えられない。当然、木花之佐久夜毘売の故郷も鹿児島県三島村硫黄島とするしかない。

○「海幸山幸」の物語の寓意は、そんなところにある。成人した海幸彦(火照命)が統治した国が大和国であり、同じく成人した山幸彦(火遠理命)が統治した国が熊祖国であった。その山幸彦(火遠理命)が海幸彦(火照命)を打ち破り、大和国を手中に収めたのが「海幸山幸」の物語となっている。

○そんな話は聞いたことがないとおっしゃるかも知れない。しかし、このことは史実として、「三国志」巻三十、魏書・烏丸鮮卑東夷伝・倭人の条(通称:魏志倭人伝)に、しっかり記録されている。
  倭女王卑弥呼與狗奴国男王卑弥弓呼素不和。
  (倭の女王卑弥呼、狗奴国男王卑弥弓呼と素より和せず。)

○ここで言う、卑弥呼とは、大山津見神のことである。大山津見神にとって、「海幸山幸」の物語は孫同士の争いとなる。実際は、兄弟ではなく、同族同士の争いであった可能性が高い。

○後年、古事記や日本書紀は熊襲国と表記するけれども、クマソ国が「神祖国」であることは間違いない。それは「神代」と書いて、「くましろ」と読むことからもはっきりする。

○前回、案内したけれども、「魏志倭人伝」を丁寧に読むと、「魏志倭人伝」の主題が見えてくる。「魏志倭人伝」の主題は何か。それは『倭国三十国の全容』に他ならない。整理すると、次のようになる。

  【渡海三国】
    ・狗邪韓国・対馬国・壱岐国
  【北九州四国】
    ・末廬国・伊都国・奴国・不弥国
  【中九州二十国】
    ・斯馬国・巳百支国・伊邪国・都支国・邇奴国・好古都国・不呼国
    ・姐奴国・対蘇国・蘇奴国・呼邑国・華奴蘇奴国・鬼国・為吾国・
    ・鬼奴国・邪馬国・躬臣国・巴利国・支惟国・烏奴国・(奴国)
  【南九州三国】
    ・投馬国・邪馬台国・狗奴国

○日本の史書と比べて、中国の史書は丁寧で、無駄が無い。それに比べて、日本の史書は八世紀に成立している割には、完全な物語と言うしかない。「三国志」が三世紀の書物であることに驚く。文化の成熟の度合いがまるで違う。

○前回、これも既に案内済みだけれども、「万葉集」を丁寧に読むと、大和三山が南九州に出現する。私は混同を避けるために、それを「邪馬台国三山」と呼んでいるけれども、「万葉集」を読むことで邪馬台国問題も容易に解決する。

○何故なら、奈良県に存在する大和三山の本物、邪馬台国三山が南九州に存在する以上、邪馬台国が南九州であることは間違いない。もともと「ヤマト」地名そのものが南九州のものである。その証拠に、奈良県で「ヤマト」地名を説明することは誰にも出来ない。

○「海幸山幸」の物語の寓意は、そういうところにある。それを、
   このエピソードは、より良い方への変化を求める者が得をするという、変動を前提とする経済の原
  則を示しているという解釈もできます。神話と現代社会はつながっているという見方をすれば、物語
  はさらに広がりを見せることでしょう。
とおっしゃる中西進名誉教授の神話学は、何とも奇っ怪な話と言うしかない。神話学とは、そんなものではないだろう。

○神話を楽しむことは、まず何より神話を読み、知ることであり、神話が私達に何を教えてくれるかを考えることではないか。人から答えを教えて貰っても、得るところは少ない。まずは、自分で読み、自分なりに神話を理解するところから始まる。実際、神話ほど奥が深く、面白いものはない。

○薩摩国国府は、薩摩川内市に存在した。大隅国国府は、霧島市に存在した。日向国国府は、西都市に存在した。これは間違いのないことである。ただ、歴史を辿ると、国府開設当時、薩摩国国府や大隅国国府、日向国国府の地は、ほとんど未開の地に過ぎなかった。それは大隅国大隅郡大隅郷が現在の志布志付近であったことからも明らかにされる。

○だから、薩摩国国府や大隅国国府、日向国国府を中心に、薩摩国や大隅国、日向国の問題を推し量ることには、十分注意を要する。後世、一の宮問題で、開聞神社と新田神社が争ったように。

○つまるところ、宮崎市あたりで、「海幸山幸」の物語をしたところで、仕方の無い話である。そこは「海幸山幸」の物語とはまるで無関係の地でしかない。神話学を標榜するのであれば、せめてそれくらいの親切心を示して欲しかった。知っていて教えないのであれば、それは罪でしかない。

○ちなみに、海幸山幸神話について、本ブログでは、2013年3月1日に既に検証している。詳しくは以下を参照されたい。
  ・書庫「天孫降臨の世界山」:ブログ『山幸彦と海幸彦』
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/37566388.html

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