○陳子昂の『薊丘覽古贈盧居士藏用七首(並序)』、『登幽州臺歌』詩と見てきているが、陳子昂には連作『感遇詩三十八首』と言う大作があると言う。とても全部を案内できるものではないが、その幾つかを紹介したい。
○前回、陳子昂『感遇詩三十八首』詩の其卅五を案内した。その際、いろいろ調べているうちに、『感遇詩三十八首』詩で著名なのが其三詩と其十九詩であると言うものを見た。其三詩はすでに案内している。
○今回は、陳子昂『感遇詩三十八首』詩の其十九を案内したい。
【原文】
感遇詩三十八首:其十九
陳子昂
聖人不利己,憂濟在元元。
黃屋非堯意,瑤台安可論。
吾聞西方化,清淨道彌敦。
奈何窮金玉,雕刻以為尊。
雲構山林盡,瑤圖珠翠煩。
鬼工尚未可,人力安能存。
誇愚適累,矜智道逾昏。
【書き下し文】
感遇詩三十八首:其十九
陳子昂
聖人は、己を利せず、
憂濟は、元元に在り。
黃屋は、堯意に非ず,
瑤台は、安くんぞ論ずべけんや。
吾聞く、西方の化、
清淨にして、道の彌、敦しと。
金玉を窮めるを奈何せん、
雕刻を、以て尊しと為す。
雲は山林に構えて盡き、
瑤は珠翠を圖きて煩し。
鬼工の尚ほ未だ可ならざるも、
人力の安くんぞ能く存せんや。
愚を誇れば適、累のし、
智を矜るも、道は逾、昏し。
【我が儘勝手な私訳】
賢明な君主は、決して自分を利することをしない、
その関心は、専ら自分の国の国民にある。
帝王が、必ずしも堯舜のようであるわけではないし、
神仙の居場所を、論じたところで仕方のない話である。
私は聞いている、西方では神仙の力が強く、
世界は清浄で、道教の教えがますます盛んであることを。
そこには、珍しい宝物が幾らでも存在しているし、
素晴らしい彫刻や塑像が、人々に尊ばれている。
白い雲は山や林に湧いて広がり、
宝石はいろんな模様を描いて美しい。
どんな名匠であっても、それを窮めることはできないし、
それは到底、人の力で為し得ることではない。
自分が暗愚だと納得したところで、いよいよ煩わしさは増すばかりだし、
自分は頭が良いと思ったところで、老荘の教えからはますます遠ざかるばかりだ。