Quantcast
Channel: 古代文化研究所
Viewing all articles
Browse latest Browse all 1914

陳子昂の『感遇詩三十八首』詩を読む

$
0
0

○長々と、陳子昂の『感遇詩三十八首』詩を読んで来た。整理すると、以下のようになる。
  ・書庫「無題」:ブログ『陳子昂:感遇詩三十八首・其一』
  https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/41531151.html
  ・書庫「無題」:ブログ『陳子昂:感遇詩三十八首・其二』
  https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/41532030.html
  ・書庫「無題」:ブログ『陳子昂:感遇詩三十八首:其三』
  https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/41532792.html
  ・書庫「無題」:ブログ『陳子昂:感遇詩三十八首:其四』
  https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/41533745.html
  ・書庫「無題」:ブログ『陳子昂:感遇詩三十八首:其五』
  https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/41534721.html
  ・書庫「無題」:ブログ『陳子昂:感遇詩三十八首:其十九』
  https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/41538336.html
  ・書庫「無題」:ブログ『陳子昂:感遇詩三十八首:其卅四』
  https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/41536094.html
  ・書庫「無題」:ブログ『陳子昂:感遇詩三十八首:其卅五』
  https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/41537285.html
  ・書庫「無題」:ブログ『陳子昂:感遇詩三十八首:其卅六』
  https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/41540682.html
  ・書庫「無題」:ブログ『陳子昂:感遇詩三十八首:其卅七』
  https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/41541519.html
  ・書庫「無題」:ブログ『陳子昂:感遇詩三十八首:其卅八』
  https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/41542187.html

○陳子昂の『感遇詩三十八首』詩、全三十八首のうち、十一首を案内したことになる。時間が許せば全部を案内したいのだが、到底、無理である。およそ、陳子昂の『感遇詩三十八首』詩のあらましくらいは見ることができたのではないか。

○陳子昂の『感遇詩三十八首』詩は、甚だ難解な詩である。訳してはみたけれども、全てが理解されているわけではない。陳子昂の『感遇詩三十八首』詩が本当に理解できる人は、相当な道士である。到底、私などが及ぶところではない。

○そういう意味で、漱石の「草枕」は、非常に参考になる。
   山路を登りながら、こう考えた。
   智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。
   住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が
  生れて、画が出来る。
   人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣りにちらちらするただの人
  である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ
  行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。
   越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容げて、束の間の命を、束の
  間でも住みよくせねばならぬ。ここに詩人という天職が出来て、ここに画家という使命が降る。あら
  ゆる芸術の士は人の世を長閑かにし、人の心を豊かにするが故に尊い。

○そういう芸術の有難さについても、次のように述べる。
   住みにくき世から、住みにくき煩いを引き抜いて、ありがたい世界をまのあたりに写すのが詩であ
  る、画である。あるは音楽と彫刻である。こまかに云えば写さないでもよい。ただまのあたりに見れ
  ば、そこに詩も生き、歌も湧く。着想を紙に落さぬとも璆鏘の音は胸裏に起る。丹青は画架に向って
  塗抹せんでも五彩の絢爛は自から心眼に映る。ただおのが住む世を、かく観じ得て、霊台方寸のカメ
  ラに澆季溷濁の俗界を清くうららかに収め得れば足る。この故に無声の詩人には一句なく、無色の画
  家には尺縑尺なきも、かく人世を観じ得るの点において、かく煩悩を解脱するの点において、かく清
  浄界に出入し得るの点において、またこの不同不二の乾坤を建立し得るの点において、我利私慾の覊
  絆を掃蕩するの点において、――千金の子よりも、万乗の君よりも、あらゆる俗界の寵児よりも幸福
  である。

○具体的には、どういうことかも、漱石は親切に案内してくれる。
   うれしい事に東洋の詩歌はそこを解脱したのがある。採菊東籬下、悠然見南山。ただそれぎりの裏
  に暑苦しい世の中をまるで忘れた光景が出てくる。垣の向うに隣りの娘が覗いてる訳でもなければ、
  南山に親友が奉職している次第でもない。超然と出世間的に利害損得の汗を流し去った心持ちになれ
  る。独坐幽篁裏、弾琴復長嘯、深林人不知、明月来相照。ただ二十字のうちに優に別乾坤を建立して
  いる。この乾坤の功徳は「不如帰」や「金色夜叉」の功徳ではない。汽船、汽車、権利、義務、道
  徳、礼義で疲れ果てた後に、すべてを忘却してぐっすり寝込むような功徳である。

○このように見て来ると、漱石が相当な道士であることを納得せざるを得ない。誰もそういう話をしなけれども。それは道士がどういうものであるかを知らないからである。これ程、判りやすく道を説く人も珍しい。

○その点、陳子昂は本家本元の道士であるから、さらに詳しく道を説く。『感遇詩三十八首』の其一詩では、その冒頭に、
  微月生西海   微月は、西海に生じ、
  幽陽始代升   幽陽の、始めて化升す。
と詠じ、更に、
  太極生天地   太極は、天地を生じ、
  三元更廢興   三元は、更に廢興す。
と説く力量は尋常ではない。

○また、『感遇詩三十八首』の其十九詩には、
  聖人不利己   聖人は、己を利せず、
  憂濟在元元   憂濟は、元元に在り。
と説いて、治世者の有様を教えるとともに、
  誇愚適累   愚を誇れば適、累のし、
  矜智道逾昏   智を矜るも、道は逾、昏し。
と述べて、人の有様をも具に説いている。

○そして、陳子昂は『感遇詩三十八首』の最後に、
  大運自盈縮   大運は、自から盈縮し、
  春秋遞來過    春秋は、遞ひに來過す。
と天命や自然の摂理について説き、
  溟海皆震盪   溟海は、皆震盪し、
  孤鳳其如何   孤鳳は、其れ如何せん。
と人間の不条理を見事に説いてみせる。

○私たちは、陳子昂や漱石の話に感動する。その陳子昂は七世紀の詩人である。中国の歴史文化の奥深さは、まさにこういうところにある。なかなか常人の人智の及ぶところではない。

Viewing all articles
Browse latest Browse all 1914

Trending Articles