○熊野には熊野三山がある。熊野三山なら、誰でも知っている。
熊野三山
熊野三山(くまのさんざん)は、熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社の3つの神社の総
称。熊野三山の名前からもわかる通り、仏教的要素が強い。日本全国に約3千社ある熊野神社の総本
社である。熊野権現も参照のこと。
2004年7月に、ユネスコの世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産として登録された。
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
https://ja.wikipedia.org/wiki/熊野三山
○同じように、高野山には高野三山が存在する。
・転軸山(915叩
・楊柳山(1008叩
・摩尼山(1004叩
○気になるので、ウィキペディアフリー百科事典が案内する高野山も載せておく。
高野山
高野山(こうやさん)は、和歌山県北部、和歌山県伊都郡高野町にある周囲を1,000m級の山々に囲
まれた標高約800mの平坦地を指す。平安時代の弘仁7年(816年)に嵯峨天皇から空海(弘法大師)が
下賜され、修禅の道場として開いた日本仏教における聖地の1つである。現在は「壇上伽藍」と呼ば
れる根本道場を中心とする宗教都市を形成している。山内の寺院数は高野山真言宗総本山金剛峯寺
(山号は高野山)、大本山宝寿院のほか、子院が117か寺に及び、その約半数が宿坊を兼ねている。
2004年(平成16年)7月7日、高野山町石道と金剛峯寺境内(6地区)、建造物12件が熊野、吉野・
大峯と共に『紀伊山地の霊場と参詣道』としてユネスコの世界遺産に登録された。
https://ja.wikipedia.org/wiki/高野山
○それなら、吉野山にも吉野三山が存在するのではないか。ウィキペディアフリー百科事典が案内する吉野山は次の通り。
吉野山
吉野山(よしのやま)は奈良県の中央部・吉野郡吉野町にある吉野川(紀の川)南岸から大峰山脈
へと南北に続く約8キロメートルに及ぶ尾根続きの山稜の総称、または金峯山寺を中心とした社寺が
点在する地域の広域地名である。
古くから花の名所として知られており、その中でも特に桜は有名で、かつては豊臣秀吉が花見に来
た事がある(後述)。現代でも桜が咲く季節になると花見の観光客で賑わう。地域ごとに下千本(し
もせんぼん)、中千本(なかせんぼん)、上千本(かみせんぼん)、奥千本(おくせんぼん)と呼ば
れている。
1924年(大正13年)12月には国の名勝・史跡に指定され、1936年(昭和11年)2月 には吉野熊野国
立公園に指定された。また2004年(平成16年)7月には吉野山・高野山から熊野にかけての霊場と参
詣道が『紀伊山地の霊場と参詣道』としてユネスコの世界遺産に登録された。
https://ja.wikipedia.org/wiki/吉野山
○もっとも、ウィキペディアフリー百科事典が案内する吉野山には、無理がある。それは吉野山の山下であって、山上が案内されていない。山上は、大峰山と称されることが多い。ウィキペディアフリー百科事典が案内する大峰山は、次の通り。
大峰山
大峰山(おおみねさん)は、奈良県の南部にある山。現在では広義には大峰山脈を、狭義には山
上ヶ岳(さんじょうがたけ)を指す。歴史的には「大峰山」は、大峰山脈のうち山上ヶ岳の南にある
小篠(おざさ)から熊野までの峰々の呼び名であった。対して小篠から山上ヶ岳を含み尾根沿いに吉
野川河岸までを金峰山という。
歴史的に使われてきた呼称及び修験道の信仰では、青根ヶ峰より南を「大峯」、以北を吉野として
きた。
この一帯は1936年(昭和11年)に吉野熊野国立公園に指定され、1980年(昭和55年)にはユネスコ
の生物圏保護区(ユネスコエコパーク)に登録(登録名:大台ケ原・大峯山・大杉谷)、さらに2004
年(平成16年)7月、ユネスコの世界遺産に「紀伊山地の霊場と参詣道」の文化的景観を示す主要な
構成要素として史跡「大峯山寺」「大峯奥駈道」ほかが登録された。 また、現在でも女人禁制であ
る。
https://ja.wikipedia.org/wiki/大峰山
○熊野には熊野三山が存在し、高野山には高野三山が存在する。それなら、吉野山にも吉野三山が存在するのではないか。そんな我儘勝手な思いを抱く前に、実は吉野三山を発見していた。それは、大峰山に初めて参詣した2009年3月28日当時、5月末に鹿児島県三島村硫黄島へ行くと言うので、硫黄島について、事前学習をしている最中であった。
○その硫黄島には硫黄島三山が存在すると言うことを知っていた。
・硫黄岳(703叩
・稲村岳(236叩
・矢筈岳(313叩
○ところが吉野山の中心となる大峰山にも、同じような三山が存在するのを、2009年3月28日に大峰山に初めて登って、気付き、驚いた。それが吉野三山(大峰三山)である。
・山上ケ岳(1719叩
・稲村ケ岳(1725叩
・大天井ケ岳(1438叩
○このことについては、これまで何度も検証している。一つ二つ案内するに留めたい。
・書庫「三島村・薪能「俊寛」」:ブログ『大峰三山』
https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/27892853.html?type=folderlist
・書庫「Camellian硫黄島」:ブログ『矢筈岳(大天井ケ岳)』
https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/34715295.html
・書庫「奥駈道を歩く(吉野から弥山まで)」:ブログ『大峰三山』
https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/34866387.html
◎神代三山陵の先坣僑位とは、次を意味する。
初代・彦火瓊々杵尊の御陵=可愛山陵=吉野山
二代・彦火火出見尊の御陵=高屋山陵=高野山
三代・彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊の御陵=吾平山陵=熊野本宮
◎そのいずれもに三山信仰が存在する。実は、三山信仰そのものが日向国のものである。次回は、そういう話をしたい。