枕詞「天降付く」が教えること:其二十七
○熊野には熊野三山がある。熊野三山なら、誰でも知っている。 熊野三山 熊野三山(くまのさんざん)は、熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社の3つの神社の総 称。熊野三山の名前からもわかる通り、仏教的要素が強い。日本全国に約3千社ある熊野神社の総本 社である。熊野権現も参照のこと。...
View Article枕詞「天降付く」が教えること:其二十八
○大和国には、大和三山が存在する。 ・畝傍山(199.2m) ・香具山(152.4m) ・耳成山(139.7m) ○熊野には熊野三山がある。 ・熊野本宮大社 ・熊野速玉大社 ・熊野那智大社 ○同じように、高野山には高野三山が存在する。 ・転軸山(915叩 ・楊柳山(1008叩 ・摩尼山(1004叩...
View Article枕詞「天降付く」が教えること:其二十九
○2018年11月11日に、久し振りに『天降付く天の香具山の風景』を鹿児島県霧島市福山港に身に出掛けた。その後、『枕詞「天降付く」が教えること』を書き始めた。良い機会だから、この際、まとめて『枕詞「天降付く」が教えること』を整理しておこうと考えた。その『枕詞「天降付く」が教えること』も、とうとう其二十九まで来た。それ程、枕詞「天降付く」に学ぶことは多い。...
View Article枕詞「天降付く」が教えること:其三十
○前回、『枕詞「天降付く」が教えること:其二十九』と題して、内之浦三岳の話をした。その際、肝付町のHPが載せる三岳登山を紹介した。甫与志岳の姫門登山口には、嘗ての内之浦町・内之浦町観光協会が設置した古い案内板が残っている。それを案内しながら、内之浦三岳参りを考えてみたい。 三岳参り 江戸時代から肝属地方に伝わる岳参り(タケメイ)で、三岳参りは肝属山地の...
View Article枕詞「天降付く」が教えること:其三十一
○前回、内之浦三岳参りを考えようとしながら、真実の神代三山陵比定地を証明してくれたのが神代三山陵の先坣僑位だと言うことで、話が終わってしまった。その真実の神代三山陵比定地を規定したのも、神代三山陵の先坣僑位を発見したのも、当古代文化研究所である。...
View Article枕詞「天降付く」が教えること:其三十二
○前回の最後に、次のように記している。 ▼と言うと語弊があるので、正確に記すと、この時代、日本の何処でも寺と神社とは併存していた。 それは分離不能な程の密着度であった。いわゆる神仏習合の宗教だったことが判る。吾平山陵の場 合、それは鵜戸六所権現となる。 ▼白尾國柱の「麑藩名勝考」にも「三国名勝図会」にも鵜戸六所権現の記録はある。鵜戸六所権現に...
View Article枕詞「天降付く」が教えること:其三十三
○内之浦三岳参りが本来、神代三山陵巡りであり、それは祖霊崇拝であった。ちなみに、真実の神代三山陵とは、次のようなものである。 初代・彦火瓊々杵尊の御陵=可愛山陵=鹿児島県肝属町内之浦甫与志岳(叶岳) 二代・彦火火出見尊の御陵=高屋山陵=鹿児島県肝属町内之浦国見山 三代・彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊の御陵=吾平山陵=鹿児島県鹿屋市吾平町上名の吾平山陵...
View Article枕詞「天降付く」が教えること:其三十四
○真実の神代三山陵とは、次のようなものである。 初代・彦火瓊々杵尊の御陵=可愛山陵=鹿児島県肝付町内之浦甫与志岳(叶岳) 二代・彦火火出見尊の御陵=高屋山陵=鹿児島県肝付町内之浦国見山 三代・彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊の御陵=吾平山陵=鹿児島県鹿屋市吾平町上名の吾平山陵 ○その中で、前々回、嘗て吾平山陵に鎮座ましました 鵜戸六所権現について、述べた。...
View Article枕詞「天降付く」が教えること:其三十五
○真実の神代三山陵は、次のように案内される。 初代・彦火瓊々杵尊の御陵=可愛山陵=鹿児島県肝属町内之浦甫与志岳(叶岳) 二代・彦火火出見尊の御陵=高屋山陵=鹿児島県肝属町内之浦国見山 三代・彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊の御陵=吾平山陵=鹿児島県鹿屋市吾平町上名の吾平山陵...
View Article吾平山上陵
○ブログ『枕詞「天降付く」が教えること』として、ここのところ、内之浦三岳参りの話を続けている。それが肝付町合併10周年記念「三岳まいり」として2014年に復活した。何とも喜ばしいことだと思っていた。...
View Article「麑藩名勝考」が案内する吾平山上陵
○白尾國柱著「麑藩名勝考」が案内する吾平山上陵は、次の通り。 吾平山陵(書紀○吾平即姶良郷の事にて、今俗鵜戸窟と称ふ。又陵地を鵜戸川とも称ふ。) 府東南十二里 書紀曰、彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊崩於西洲之宮。因葬日向吾平山上陵是也。延喜諸陵式曰、日向吾 平山上陵、彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊、在日向国無陵戸。...
View Article吾平山上陵参詣道
○これまで、吾平山上陵には、幾度となくお参りしている。数えたことはないけれども、10回くらいにはなるのではないか。2018年12月25日に、随分久し振りに、吾平山上陵へお参りした。...
View Article吾平山上陵
○2018年12月26日、吾平山上陵へ参詣してきた。内之浦三岳参りは、もともと神代三山陵巡りであったと考えられる。それを追体験してみようと言うものである。 ○ちなみに、現在、宮内庁が神代三山陵としているのは、以下の通りである。 初代・彦火瓊々杵尊の御陵=可愛山陵=鹿児島県薩摩川内市の新田神社 二代・彦火火出見尊の御陵=高屋山陵=鹿児島県霧島市溝辺町麓の高屋山陵...
View Article「三国名勝図会」が案内する吾平山上陵
○前に、「麑藩名勝考」が案内する吾平山上陵を紹介した。 ・書庫「肝属町の三岳参り」:ブログ『「麑藩名勝考」が案内する吾平山上陵』 https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/41612870.html ○併せて、「三国名勝図会」が案内する吾平山上陵も紹介しておきたい。吾平山上陵が、どういうものであるかを理解するには、格好の書物だと判断するからである。...
View Article神野:熊野の故郷
○神代三代の天津日高彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊の御陵、吾平山上陵が存在するのは、鹿児島県鹿屋市吾平町上名となっている。吾平山上陵は、山上陵と言いながら、可愛山上陵や高屋山上陵と違って、河原に存在する洞窟が御陵となっている。 ○神代三山陵の先坣僑位を求めた際、このことが大きなヒントとなったことは言うまでもない。その神代三山陵の先坣僑位を、確認の為、再掲しておく。...
View Articleくまのにいますかみ
○現代で、熊野と言うと、多くの方が熊野三山を連想なさるのではないか。ウィキペディアフリー百科事典が案内する熊野三山は、次の通り。 熊野三山 熊野三山(くまのさんざん)は、熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社の3つの神社の総称。 熊野三山の名前からもわかる通り、仏教的要素が強い。日本全国に約3千社ある熊野神社の総本社で ある。熊野権現も参照のこと。...
View Article熊野の原風景
○ここまで、ブログを『吾平山上陵』、『神野:熊野の故郷』、『くまのにいますかみ』と書いて来ている。それらは全てブログ『熊野の原風景』に至る道程でもある。それ程、熊野の原風景は神々しい。 ・書庫「肝属町の三岳参り」:ブログ『吾平山上陵』 https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/41614447.html ・書庫「肝属町の三岳参り」:ブログ『神野:熊野の故郷』...
View Articleやまとは くにのまほろば
○「古事記」景行天皇記に、倭建命の御歌として載せるのが「やまとは くにのまほろば」和歌である。倭建命の絶唱として世に喧伝され、誰もが知っている名歌でもある。 やまとは くにのまほろば たたなづく あをかきやま ごもれる やまとしうるはし...
View Article姫門登山口
○2018年12月25日に、吾平山上陵へお参りした後、姶良川を遡り、神野へ向かった。その後、神野から肝付町大平へ抜けて、高山川沿いに上り、二股隧道を通って、姫門へ行った。 ○姫門集落から、姫門川沿いに更に上って行くと、姫門川の源流に達する。そこが甫与志岳姫門登山口になっている。甫与志岳には登山口が三つある。それが、 ・二股登山口 ・岩屋登山口 ・姫門登山口 である。...
View Article姫門登山口から甫与志岳登山
○2018年12月25日、12時ころに、甫与志岳姫門登山口に到着した。此処は、姫門川の源流で、峠となっている。峠を越えると、そこからは小田川の源流となっている。 ○登山準備を済ませて、登山を始めたのは12時14分であった。登山道は尾根道を行く感じで、林間ながら、乾燥していて明るい。2016年5月、2017年5月と続けて、この道を甫与志岳から下っているから、おおよそ、道の様子は判っている。...
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