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吾平山上陵

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○2018年12月26日、吾平山上陵へ参詣してきた。内之浦三岳参りは、もともと神代三山陵巡りであったと考えられる。それを追体験してみようと言うものである。

○ちなみに、現在、宮内庁が神代三山陵としているのは、以下の通りである。
  初代・彦火瓊々杵尊の御陵=可愛山陵=鹿児島県薩摩川内市の新田神社
  二代・彦火火出見尊の御陵=高屋山陵=鹿児島県霧島市溝辺町麓の高屋山陵
  三代・彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊の御陵=吾平山陵=鹿児島県鹿屋市吾平町上名の吾平山陵

○しかし、これは真実の神代三山陵ではあり得ない。真実の神代三山陵は、次の通りである。
  初代・彦火瓊々杵尊の御陵=可愛山陵=鹿児島県肝属町内之浦甫与志岳(叶岳)
  二代・彦火火出見尊の御陵=高屋山陵=鹿児島県肝属町内之浦国見山
  三代・彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊の御陵=吾平山陵=鹿児島県鹿屋市吾平町上名の吾平山陵

○今回、それを一通り巡ってみようと言うわけである。その出発地は、やはり、神代三代の最後、彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊の御陵である吾平山上陵から始まるとするのが自然だろう。何故なら、神代三山陵巡りは、祖霊信仰なのだから。

○その吾平山上陵について、これまで、次のように案内してきている。
  ・書庫「肝属町の三岳参り」:ブログ『吾平山上陵参詣』
  https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/41612430.html
  ・書庫「肝属町の三岳参り」:ブログ『「麑藩名勝考」が案内する吾平山上陵』
  https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/41612870.html
  ・書庫「肝属町の三岳参り」:ブログ『吾平山上陵参詣道』
  https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/41614068.html

○したがって、今回が吾平山上陵参りの最後になる。四の渡り、三の渡り、二の渡りと橋を渡って行くと、小石川の御手洗場が見えて来る。その先右手が吾平山上陵となる。吾平山上陵には鳥居が建っているので、それと知られる。

○吾平山上陵手前には、石橋があって、それが最後の一の渡りなのだが、現在は、一の渡り手前までしか行くことができない。したがって、人々は、小石川を挟んで遥拝することになる。

○吾平山上陵は、可愛山上陵や高屋山上陵と違って、山上陵ではない。吾平山上陵を斎き祀る社が鵜戸六所権現と言われるように、吾平山上陵は河原に存在する岩窟そのものなのである。鵜戸は宇都とも言い、岩屋、岩窟を意味する。

○吾平山上陵の『あいら』地名も気になる。『あいら』地名はまた、姶良とも表記する。『あ・ひら』と『あひ・ら』とでは、随分意味が違ってくる。それは、吾平山上陵の存在するところが、すなわち、『あいら』地名の意味することだと考える方が、理にかなっている。

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