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Channel: 古代文化研究所
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枕詞「天降付く」が教えること:其三十二

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○前回の最後に、次のように記している。
  ▼と言うと語弊があるので、正確に記すと、この時代、日本の何処でも寺と神社とは併存していた。
  それは分離不能な程の密着度であった。いわゆる神仏習合の宗教だったことが判る。吾平山陵の場
  合、それは鵜戸六所権現となる。
  ▼白尾國柱の「麑藩名勝考」にも「三国名勝図会」にも鵜戸六所権現の記録はある。鵜戸六所権現に
  ついて言及しようと思ったら、字数が気になって来た。次回に繋げたい。

○まず、最初に、「麑藩名勝考」が案内する鵜戸六所権現から見ておきたい。
      鵜戸六所権現(陵窟の北ノ方三十六間許に在り。戌亥に向ふ。其間に一つの小川流る。)
  奉祀即鸕鷀草葺不合尊、配享(玉依姫・彦五瀬命・稲飯命・三毛入野命・神武天皇、例祭九月十九日)
  當社は中古廃壊してありしを、今太公 淨國公の盛志を継せ玉ひ、明和六年歳在戊子、官吏に命じて
  地を相て工を鳩め、権現廟を新建し玉ひ、制造宏麗千古の霊蹟を表挙し、永止の神像を奉安し玉ひけ
  り。是歳十二月十八日、神人出羽守従五位下本田親盈命を受け、神霊勧請の奉幣を行ふ。

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