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枕詞「天降付く」が教えること:其二十八

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○大和国には、大和三山が存在する。
  ・畝傍山(199.2m)
  ・香具山(152.4m)
  ・耳成山(139.7m)

○熊野には熊野三山がある。
  ・熊野本宮大社
  ・熊野速玉大社
  ・熊野那智大社

○同じように、高野山には高野三山が存在する。
  ・転軸山(915叩
  ・楊柳山(1008叩
  ・摩尼山(1004叩

○加えて、吉野山には吉野三山が存在することを、当古代文化研究所で発見した。
  ・山上ケ岳(1719叩
  ・稲村ケ岳(1725叩
  ・大天井ケ岳(1438叩

●こう考えると、三山信仰は大和国周辺のものと思われるかも知れない。しかし、大和三山も神代三山陵の先坣僑位も、もともとは、全て日向国のものである。今回は、そういうことを振り返ってみたい。

●日向国には、邪馬台国三山が聳えている。
  ・畝傍山=霧島山(1700叩
  ・香具山=桜島山(1117叩
  ・耳成山=開聞岳( 924叩

●神代三山陵も、日向国のものである。その神代三山陵の変形が内之浦三岳である。
  ・国見岳(886叩
  ・黒尊岳(908叩
  ・甫与志岳(966叩

●屋久島にも、三岳が存在する。
  ・宮之浦岳(1936叩
  ・永田岳(1886叩
  ・黒味岳(1831叩

●硫黄島の三岳は、次の通り。
  ・硫黄岳(703叩
  ・矢筈岳(349叩
  ・稲村岳(236叩

●米良三山もある。
  ・市房山(1720叩
  ・石堂山(1547叩
  ・天包山(1199叩

◎他にもまだまだ存在するのだろうが、私が確認したものが上記の山々である。こういう信仰が仏教に基づくものであることは、いろんな方が指摘している通りである。もともと仏教の修験の場が山であった。だから、本来、寺は山に存在する。その名残が寺の山号として残っている。

◎陶淵明が『飮酒二十首:其五』詩で、
  結廬在人境    廬を結ぶに人境に在り。
  而無車馬喧    而も車馬の喧しき無し。
  問君何能爾    君に問ふ、何ぞ能く爾ると。
  心遠地自偏    心遠ければ、地自づから偏なり。
とわざわざ弁解するのにも、もちろん、理由がある。それは仏教でも道教でも、修行する人は皆、決まって山中に庵を構えたからである。人里に庵を構える人は普通の人と決まっている。それに反論しているに過ぎない。そういうことは、実際、陶淵明の故地を訪れてみると、よく判る。詳しくは、以下を参照されたい。
  ・書庫「廬山・九江」:42個のブログ
  https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/folder/1234221.html?m=l&p=1

◎こういうふうに、日向国には、多くの三山信仰が残されている。そのほとんどが明治維新によって、完膚無なきまでに破壊し尽くされている。私たちは、そういう歴史の一面を見逃してはならない。百年ちょっと前までは、そういう貴重な文化財が日向国には残っていた。現在、そういうものは、何も残されていない。非常に残念な話である。

◎現在、宮崎県では、『宮崎県 記紀編さん1300年記念事業』として、「神話のふるさと みやざき温故知新ものがたり」をコンセプトに、記紀編さん1300年記念事業を展開していらっしゃる。
      宮崎県 記紀編さん1300年記念事業
      神話のふるさと みやざき温故知新ものがたり
   宮崎は、古事記や日本書紀に描かれた日本発祥にまつわる日向神話の舞台であり、多くの伝説や伝
  統文化、史跡等が残されていますが、平成24年は古事記編さん1300年、また、平成32年は日本書紀編
  さん1300年という大きな歴史的節目に当たります。
   今後、平成32年までの期間に、各種イベントやシンポジウム等を通じて、昔から受け継がれてきた
  伝承や伝説、伝統芸能等の地域の文化資源や観光資源等に光を当て、県内外に強力に情報発信してい
  きます。
  http://www.pref.miyazaki.lg.jp/kiki1300nen/kikihensan.html

◎宮崎県在住の者としては、大いに賛同し、盛り上げるべき立場なのは判っている。判っていながら、注文を付けざるを得ないのは、何か話が違うからである。『宮崎県 記紀編さん1300年記念事業』と銘打っているように、宮崎県が中心となって、記紀編さん1300年記念事業を展開しようと言うのが、「神話のふるさと みやざき温故知新ものがたり」であるらしい。

◎それならば、日向神話がどういうものであり、何処がその舞台であるかを、まず最初に、明確にしてから、行事を展開すべきだろう。ところが、そういう肝心要なところがきれいさっぱりと抜け落ちている。それでは、到底、事業が盛り上がるはずもなかろう。

◎日向神話の内実は、以下の三点に集約されよう。
  ・天孫降臨神話
  ・山幸海幸神話
  ・神武東征神話

◎そのことは、宮崎県も何とか理解しているようだが、肝心の日向神話の登場人物について、宮崎県は何もご存じ無いようである。その証拠に、日向神話の登場人物に関する言及がほとんど無い。日向神話の主人公が神代三代であることは、誰もが承知していることである。その痕跡すら、見付けようとしないで、『宮崎県 記紀編さん1300年記念事業』は、あり得ない。そういうことは、誰が考えても判ることである。

◎そういう肝心なことを抜きにして、事業展開したところで、盛り上がるはずもない。日向神話の主人公である神代三代を確認するには、神代三山陵を研究するしかないわけである。『宮崎県 記紀編さん1300年記念事業』の何処に、神代三山陵を研究が展開されているのか。見たことも聞いたことも、無い。

◎宮崎県は、これまで、幾人かの学者先生を宮崎県に招き、記念講演をなさっている。その一つ二つ紹介しておきたい。
  ・書庫「天孫降臨の世界山」:ブログ『梅原猛:日向神話を語る』
  https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/36462054.html
  ・書庫「日向国の万葉学」:ブログ『磯田道史:日向神話の国の背景』
  https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/41268958.html

◎上記のブログを読んでいただくと判るのだが、肝心の学者先生たちと言うのがまるで日向国をご存じない。日向国をまるでご存じない方が、日向神話をさもご存じであるかのようにお話なさる。それは茶番と言うか、もう笑い話に過ぎない。

◎その証拠に、誰も天孫降臨神話の世界山が何処かすら、ご存じない。それで日向神話が語れるはずもなかろう。山幸海幸神話にしたところで、同じである。山幸彦である彦火火出見尊の御陵、高屋山陵が何処に存在するか。それすら規定出来ないで、日向神話は語れない。最後の、神武東征神話を語るには、彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊の御陵、吾平山陵を規定しないと、神武天皇が何処から東征に向かったかも判らない。

◎当古代文化研究所では、これまで、そういうことを丁寧に検証して来ている。どうせ、『宮崎県 記紀編さん1300年記念事業』と銘打つのなら、そういう日本国創世にまつわるような、壮大な構想を語って欲しい。目先の経済とか観光活性化などに終始してはなるまい。国家百年、千年の計に思いを廻らすような事業を期待せずにはいられない。

◎日向国を自認して止まない宮崎県が、『宮崎県 記紀編さん1300年記念事業』として、「神話のふるさと みやざき温故知新ものがたり」を展開なさっている。それがまるで日向国を理解していない。嘘のような、本当の話である。

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