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内之浦:高屋神社参拝

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○2018年12月25日、姫門登山口から、甫与志岳へ登った。12時14分に登り始め、下山したのは14時40分だった。その後、小田川沿いの林道を下って、内之浦を目指した。

○この林道が悪路で悩まされた。確か内之浦まで7劼箸△辰燭茲Δ忙廚Αしかし、20劼らい走ったように感じた。久しぶりに内之浦港を眺めた後、高屋神社へと向かう。国見峠から内之浦の町の入り口に鎮座ましますのが高屋神社である。高屋神社到着は午後3時40分ころだった。

○これまで、高屋神社には3回ほどお参りしている。白尾國柱の「麑藩名勝考」が案内する高屋神社は、次の通り。
      正一位高屋大明神(在山陵之麓三里許。此地隷同郷南方村)
    奉祀即彦火火出見尊
    祔祀瓊々杵尊・葺不合尊
  此神廟は景行天皇の御草創也。鳥居に正一位高屋大明神の扁額を掲く。(卜部兼敬書也。)例祭九月
  九日、同月十日。此日流鏑馬あり。年中祭典凡廿七度。神社撰集曰、中御門天皇享保二年丁酉六月廿
  六日、授高屋神社正一位。又云宝暦十三年辛未十月廿八日夜亥刻、高屋神廟火たり。今宵戌下刻、光
  明一道ありて、國見山陵に飛行、其光赫曜として山谷に射映る。又曰、高屋祠炎上、半時ばかりの前
  に火気雲衢に衝入、すさまじく見へわたりけることあり。皆郷村男女親しく見る所、今に至りて歎称
  をなして敬畏せり。

○「三国名勝図会」が記録する正一位高屋神社は、次の通り。
      正一位高屋神社(地頭館より酉方、九町許)
   小串村にあり。宗祀彦火火出見尊。配祀豊玉姫。祔祀瓊々杵尊、木花開耶姫、葺不合尊、玉依姫。
  闔郷の宗廟たり。例祭九月九日より十日に至る。此日流鏑馬あり。年中廿七度祭典をなす。當廟は景
  行天皇の御草創なり。傳云、天皇當所に行宮を建て、留蹕の時、出見尊の御陵は、高屋山の絶頂に在
  りて、麓を距ること二里許り、道険にして、輙く躋るべからず。是を以て此処に勧請し玉ひ、天皇御
  奉納の神寶、及び傳記等ありしが、永正二年乙丑正月七日、當廟火あり。此時悉く焼失せしとぞ。寛
  永十年癸酉五月十五日、北方村(小串村の俗称)竿次帳を按ずるに、其頃當廟の神領、百二十九石三
  斗三升七合五勺と見ゆ。元禄九年丙子六月三日、

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