Quantcast
Channel: 古代文化研究所
Viewing all articles
Browse latest Browse all 1914

杜牧:郡樓望九華

$
0
0


○日本の伝統的な歌学の概念として、「歌枕(うたまくら)」がある。ウィキペディアフリー百科事典には、歌枕について、次のように載せる。

      歌枕
   歌枕(うたまくら)とは、古くは和歌において使われた言葉や詠まれた題材、またそれらを集めて
  記した書籍のことを意味したが、現在はもっぱらそれらの中の、和歌の題材とされた日本の名所旧跡
  のことをさしていう。
  【古い用法】
   和歌は古くは、漢語や当時の日常会話で使われる表現、また俗語の類などを出来るだけ避けるよう
  にして詠まれていた。その姿勢はすでに奈良時代の『歌経標式』において「直語を以って句を成す、
  都(すべ)て古事に無し」とあり、「直語」というのは当時の日常会話に近い表現という意味で、和
  歌においてそのような表現は古くから用いられないものだということである。そうして和歌の表現が
  洗練されてゆくうちに、和歌を詠むのにふさわしいとされる言葉が次第に定まっていった。それらの
  言葉が歌枕であり、その中には「あふさかやま」(逢坂山)や「ふじのやま」(富士山)、「しほが
  ま」(塩竈)などといった地名も含まれる。歌枕の「枕」とは、常に扱われる物事また座右に備える
  ものといった意味だとされ、『枕草子』のその題名の「枕」もこれに関わりがあるといわれるが、そ
  の枕というのが寝具の枕に拠るのか、または違うものからその語源がきているのかは不明である。
  【地名の歌枕】
   しかし歌枕は時代が経つにつれて、次第に和歌で詠まれる諸国の名所旧跡のみについて言われるよ
  うになった。平安時代後期の歌人源俊頼の著書『俊頼髄脳』には、「世に歌枕といひて所の名かきた
  るものあり」とあって、すでにこの頃には歌枕について、名所や由緒ある場所に限ることがあったと
  見られる。『能因歌枕』によればその地名には、都が平城京に置かれていた頃から親しまれてきた大
  和国の地名をはじめ、東は陸奥国から西は対馬まで六十一ヶ国に及び、それらは山や川、浦といった
  自然の景物、また橋や関、里(さと)などの場所が取り上げられている。

○中国各地を訪れ、名所旧跡を廻っていると、日本の歌枕が決してオリジナルのものではないと思えてならない。もともと、歌枕の概念そのものが古代中国には存在している。おそらく、そういうものを日本流に転用したものが歌枕なのではないか。

○その源流は、遙か詩経や楚辞にまで遡ることが出来るし、最も隆盛したのは玄言詩あたりになるのではないか。だから、中国の歌枕の歴史は相当古い。

○杜牧の「郡樓望九華」詩を読むと、この詩の成立の仕方が、日本の歌枕の概念そのものであることが判る。それは、単に、九華山だけではなく、これまで見てきた汨羅や岳陽楼、洞庭湖、黄鶴樓、廬山にしたところで、まるで同じである。それはこうやって各地で詠まれた名詩を丁寧に点検し続けない限り、理解されないことである。

  【原文】
      郡樓望九華
         杜牧
    凌空瘦骨寒如削
    照水清光翠且重
    卻憶謫仙詩格俊
    解吟秀出九芙蓉

  【書き下し文】
      郡樓にて九華を望む
           杜牧
    空を凌ぐ瘦骨は、寒く削るが如く、
    水を照らす清光は、翠にして且つ重し。
    卻つて憶ふ謫仙の、詩格は俊にして、
    解吟し秀出す、九芙蓉。

  【我が儘勝手な私訳】
    九華山のゴツゴツとした峰峰は、青い空に瘠せた骨のように白く険しく、
    九華山から流れ出る川面には、朝日が照って、翠色にゆったりと流れている。
    池陽郡の郡楼から遙かに九華山を眺めながら、
      むしろ、私は貶謫の仙人、李白の詩ほど素晴らしいものは無いと思う、
    李白が「望九華贈青陽韋仲堪」詩で詠み出した『九芙蓉』ほど、
      的確に九華山を形容する表現は無いと、しみじみ思うことだ。

○杜牧の「郡樓望九華」詩は、李白の「望九華贈青陽韋仲堪」詩が存在しない限り、詠み得ない詩となっている。杜牧の「郡樓望九華」詩は、李白の「望九華贈青陽韋仲堪」詩を換骨奪胎し、オリジナルの詩へと変容させている。そういうことを全面に打ち出すことは、なかなか一流の詩人にとって、受け入れることは容易なことでは有るまい。それを平然と行い得るところに、杜牧の偉大さが窺えるし、歌枕の概念が中国に存在することを窺わせる。

○2013年6月14日に、九華山に参詣した。山下から望む九華山は、まさしく杜牧が詠うように、
  凌空瘦骨寒如削      空を凌ぐ瘦骨は、寒く削るが如く、
風情であった。15日の朝、ホテルを出て、散歩をした。朝早いのに、女達が川では洗濯をしていた。川は九華山から流れ出ている川である。まさしく、それは、
  照水清光翠且重     水を照らす清光は、翠にして且つ重し。
光景であったことは言うまでもない。

○西暦750年ころ、李白が「望九華贈青陽韋仲堪」詩で詠ったものを、西暦850年ころ、杜牧が「郡樓望九華」詩でお復習いをしている。それを西暦2013年に、私が実見する。そういう気分が何とも贅沢なものに思えてならなかった。

○ここで一詩でも、ものすることが出来たら、申し分ないのだが、惜しむらくは、私にはその才がまるで無い。もっとも、更科の姨捨山のように、林立する句碑があるより、遙かにましではあるけれども。

Viewing all articles
Browse latest Browse all 1914

Trending Articles