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「薩隅日地理纂考」:高隅嶽

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○『「麑藩名勝考」:高隅嶽』から始めて、『三国名勝図会:高隅嶽(高隅)』、『三国名勝図会:高隅嶽(新城)』、『三国名勝図会:高隅嶽(鹿屋)』、『三国名勝図会:高隅嶽(串良)』、『三国名勝図会:高隅嶽(垂水)』と続けて来ている。

○今回は、それを続けて、『「薩隅日地理纂考」:高隅嶽』としたい。「薩隅日地理纂考」で、高隅嶽を載せているのは、地理纂考二十三之巻、大隅國、肝屬郡、高隅郷になる。
      肝屬郡
      (和名抄曰肝属は、岐毛豆岐。續紀、肝衡。又肝抔に作る。
       建久八年圖田帳に肝付郡百三十町二反三丈と見ゆ。)
      高隅郷(當郷往古は鹿屋院に屬せしとぞ。)
      高隅嶽
   此岳大隅肝屬両郡に蟠り疊嶂層巒波濤のごとく實に大隅の巨岳にして其支峰相連り鹿屋花岡新城
  垂水百引牛根等の諸郷皆此岳の麓にあり。高隅の麓より絶頂まで二里、其中最高きを大篦嶽(當邑
  と、垂水とに分界す。絶頂に箭幹竹多し。俗にすずの竹といふ。因て大篦小篦の名あり。)次を権
  現嶽(鹿屋に属す。)又其亜を小篦嶽(當邑と垂水鹿屋の三邑に分界す。)と云ふ。又妻岳鷹羽嶽
  中岳盆山等なり。其外名を稱する峰許多なり。此岳諸邑に跨て高隅岳の名を得たるは、高隅の地に
  多く係りたればなり。諸峰の絶頂風烈しく樹木長大ならず。毎歳三月四日古來よりの俗にて近邑の
  男女岳上に登る。是を七岳参詣と號す。七岳とは盆山(當邑に屬す。)大篦嶽小篦嶽妻嶽、權現嶽
  中嶽及び近戸宮を權ふ。權現岳中岳近戸宮を除て外は只樹木を以て神体とす。(三所權現とは權現
  岳中岳嶽近戸宮なり。)高隅の山中深林幽邃にして、神異霊怪往々あり。故に人民敬畏せざる者なし。

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