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再び、紀伊山地の霊場と参詣道について

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○『紀伊山地の霊場と参詣道』については、2019年3月31日に書いたばかりである。
  ・書庫「肝属町の三岳参り」:ブログ『紀伊山地の霊場と参詣道』
  https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/41698294.html

○しかし、ブログ『魏志倭人伝の狗奴国』、『狗奴国の正体』、『天皇家の故郷が狗奴国であること』、『神代三山陵の先坣僑位』と書き続けると、次はどうしても『紀伊山地の霊場と参詣道』の話をするしかない。何故なら、『神代三山陵の先坣僑位』と『紀伊山地の霊場と参詣道』とは、同じ内容なのだから。

○ちなみに、『紀伊山地の霊場と参詣道』とはまた、珍妙、頗る変てこな表現だと言うしかない。何故なら、そういうものは現実に存在しないからである。そういう存在しないものに、無理矢理名前を付けた。だから、何とも奇天烈なネーミングとなっている。

○実は、昔から吉野山と高野山、熊野本宮の間には、参詣道が存在した。しかし、それがどういうものであるかが文化庁には理解できなかった。それで、無理矢理付した名が『紀伊山地の霊場と参詣道』なのである。

○『紀伊山地の霊場と参詣道』と言うネーミングも面白いが、その内容もまた面白い。取り敢えず、文化庁が案内する『紀伊山地の霊場と参詣道』を「世界文化遺産オンライン」で見てみたい。
      紀伊山地の霊場と参詣道 (世界遺産登録年:2004年)
 紀伊山地は本州最南端、太平洋に張り出す紀伊半島に位置し、標高1,000m~2,000m級の山脈が縦横に走り、年間3,000mmを超える豊かな降水量が深い森林をはぐくむ山岳地帯です。
 紀伊山地は太古の昔から自然信仰の精神を育んだ地で、6世紀に仏教が伝来した以降、紀伊山地は真言密教をはじめとする山岳修行の場となりました。中でも、山岳修行により超自然的能力を獲得することを目的として10世紀中ごろから11世紀代に成立した修験道は、特に大峰山系の山岳地帯を中心的な修行の場としていました。また、9~10世紀に広く流布した「神仏習合」思想(日本古来の神々は仏教の諸尊が姿を変えて現れたものとする日本固有の思想)の聖地としても信仰を集めていました。
 さらに、10~11世紀頃の日本では「末法思想」(仏法が衰え世も末になるという思想)が流行し、死後に阿弥陀仏の居所である極楽浄土に往生することを願う「浄土宗」という仏教の教えが貴族や庶民の間に広まりました。これに伴って、都の南方に広がる紀伊山地には仏教諸尊の浄土があると信じられるようになり、この地の霊場としての性質がいっそう強まりました。この地方の神聖性がことさら重要視されるようになった背景には、深い山々が南の海に迫るという独特の地形や、両者が織り成す対照的な景観構成などが大きく影響していたものと考えられています。
 このような特有の地形及び気候、植生などの自然環境に根ざして育まれた多様な信仰の形態を背景として、「吉野・大峯」、「熊野三山」、「高野山」と呼ばれる顕著な三つの霊場とそれらを結ぶ「参詣道」が形成されました。
  http://bunka.nii.ac.jp/special_content/hlinkA

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