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Channel: 古代文化研究所
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日向神話と大隅国

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○日向神話とは何か。それは天皇家の故郷が日向国であることを意味する神話である。何故なら、日向神話の内実は、次の三つになるからである。
  ・天孫降臨神話
  ・山幸海幸神話
  ・神武東征神話

○「古事記」や「日本書紀」を読んでいる者であれば、誰でもそれくらいのことは理解している。ただ、その舞台が何処かと言うと、意外と、多くの人が理解できていないのが実状ではないか。と言うか、誰も知らないと言った方が正しい。

○何故なら、そのことを正しく理解するためには、神代三山陵の比定地を確定する必要がある。現在、宮内庁が神代三山陵として比定しているところは、次のようになっている。
  初代・彦火瓊々杵尊の御陵=可愛山陵=鹿児島県薩摩川内市の新田神社
  二代・彦火火出見尊の御陵=高屋山陵=鹿児島県霧島市溝辺町麓の高屋山陵
  三代・彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊の御陵=吾平山陵=鹿児島県鹿屋市吾平町上名の吾平山陵

○しかし、どう考えても、この神代三山陵の比定地は、おかしい。親子孫の三代が神代三代である。それがこのようにバラバラだと考えるところにまず、問題がある。通常、親子孫の三代なら、同じ場所か、近在にあるのが普通だろう。

○それに、可愛山陵が新田神社の近辺だとしたり、高屋山陵を霧島市溝辺町麓だとする考えには、意図が感じられる。それは可愛山陵は薩摩国国府の近く、高屋山陵は大隅国国府の近くとするものである。古代に於いて、薩摩国国府や大隅国国府が辺境の地であったことは、歴史が証明している。薩摩国国府も大隅国国府も移民の町であって、地元民の町では無い。そんなところに、神代三山陵が存在するはずもなかろう。

○神代三山陵の中で、唯一、信用の置けるのが吾平町上名の吾平山陵である。ここは、昔から吾平の地だった。したがって、神代三山陵を考える上では、吾平山陵から始めるしかないことが判る。もっとも、吾平山陵は、神代三山陵の中で、もっとも新しい山陵である。

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