Quantcast
Channel: 古代文化研究所
Viewing all articles
Browse latest Browse all 1914

李白:宿鰕湖

$
0
0

○李白の黄山詩として、「山中問答」「贈黄山胡公求白鷴」「夜泊黄山聞殷十四呉吟」「送温處士歸黄山白鵝峰舊居」と続けているが、最後は李白の「宿鰕湖」詩で、李白とともに、黄山を去ることとしたい。

  【原文】
      宿鰕湖
       李白
    鶏鳴発黄山
    暝投鰕湖宿
    白雨映寒山
    森森似銀竹
    提携採鉛客
    結荷水辺沐
    半夜四天開
    星河燗人目
    明晨大楼去
    岡隴多屈伏
    当与持斧翁
    前渓伐雲木

  【書き下し文】
      鰕湖に宿る
       李白
    鶏鳴に黄山を発し、
    暝に投ず、鰕湖の宿。
    白雨は寒山を映じ、
    森森として銀竹に似る。
    鉛を採る客と提携し、
    結荷の水辺に沐す。
    半夜に、四天の開き、
    星河は人目に燗く。
    明晨、大楼に去けば、
    岡隴の多く屈伏せん。
    当に与に斧を持するの翁となって、
    前渓の雲木を伐るべし。

  【我が儘勝手な私訳】
    夜明けとともに、黄山を出立し、
    日暮れになって、何とか鰕湖の宿に辿り着いた。
    道中、激しい雨が遠くの山を烟らせ、
    大粒の雨粒が斜めに落ちて来るのを見る。
    偶々一緒になった採鉛の工夫と連れ立って、
    蓮の花盛りの湖辺で道中の汚れを洗い流す。
    夜になって、ようやく雨も上がって、雲も無く、
    空には天の川が流れているのを見る。
    明日の朝、私は大楼山へ登ろうと思っているが、
    道中、多くの岡を超えなくてはならない。
    当然、私は手に斧を持った老人と化して、
    渓道の木々を刈りながら進まなくてはなるまい。

○中国の検索エンジン百度百科にも、李白の「宿鰕湖」を載せていて、『宿鰕湖』の語注に、次のようにある。
  【宿鰕湖】
    黄山在池州府城南九十里,大搂山在池州府城南七十里,清溪在池州府城北五里,
    鰕湖当与之相去不远。
これに拠れば、池州府城の南九十里に黄山があり、池州府城の南七十里に大楼山が存在すると言う。そして、池州府城の北五里に清溪が存在し、その清溪から遠くないところに鰕湖があることになる。

○しかし、この案内は、いくら何でも無理がある。李白がどんなに健脚でも、黄山から清溪まで一日で踏破することは不可能だろう。中国の検索エンジン百度百科の記録では、その距離数は優に100里を越すことになる。

○それに、明くる朝、李白は大楼山に登ろうとしている。池州府城から南九十里の黄山から、池州府城北五里の清溪まで行って、池州府城の南七十里に存在する大楼山へ登ることは、常識的に考えられない。

○おそらく、李白が敢行したルートは、初日が黄山から陵陽鎮あたりまでで、宿った鰕湖も、おそらくこの辺りなのではないか。現在、近くに大人造湖、太平湖が存在する。

○そして、次の日、李白が目指した大楼山は、九華山なのではないか。そう考えると、計算上、ぴったりと合う。実は、私も、日本で、九華山から黄山へは九華山山上から陵陽鎮へ下りるルートを探した。距離的には短距離で、実際的なルートである。ただ、公共バスが通っていなかったので、断念した。九華山山上から陵陽鎮は、極めて近い。また、陵陽鎮から黄山も大変近い。

○黄山の大変な山を下りて来た李白が、雨の中、沐浴をするのは当然である。陵陽鎮あたりなら、採鉛の工夫と出遭うのも似付かわしい。何より、「鰕湖」の名が山中の湖水に相応しい。『鰕』は、日本なら、さぞかし、山椒魚である。

○もともと、黄山は、そんな深山である。手に斧を持して登るのが黄山である。今は僅か10分でケーブルカーで登るから、何の有り難みも無い。黄山山上をハイヒールのお姉さんが日傘を差して歩いている。そんな光景を李白が見たら、何と嘆くだろうか。

Viewing all articles
Browse latest Browse all 1914

Trending Articles