○中国の検索エンジン百度『百度百科』は、「金陵懷古」について、次のように案内する。
《金陵怀古》是唐宋诗人常作的题目,唐诗中著名的有司空曙、刘禹锡和许浑的作品,宋诗中著名的
有释保暹、王珪、王安石的作品。
○つまり、「金陵懷古」は唐宋詩人なら、誰もが創る一般的詩題であった。その嚆矢が司空曙の「金陵懷古」詩である。なお、『百度百科』では「金陵懷古」詩として、
・司空曙诗《金陵怀古》 ・刘禹锡诗《金陵怀古》 ・许浑诗《金陵怀古》
・释保暹诗《金陵怀古》 ・王珪诗《金陵怀古》 ・王安石诗《金陵怀古》
・古筝曲金陵怀古
を案内している。
○その司空曙「金陵懷古」詩は、次の通り。
【原文】
金陵懷古
司空曙
輦路江楓暗
宮庭野草春
傷心庾開府
老作北朝臣
【書き下し文】
金陵懷古
司空曙
輦路の江楓は暗く、
宮庭の野草に春。
傷心す、庾開府、
老いて作る、北朝の臣。
【我が儘勝手な私訳】
嘗て皇帝が玉輦に乗って通った路は、現在では江楓樹が大きく生い茂り、鬱蒼と暗く、
嘗て宮廷が存在したところには、野草が生い茂り、春花が咲き乱れている。
この金陵に佇むと、物思いに沈む庾信の姿が思い出されてならない、
南朝梁国が滅び、年老いてから北朝西魏・北周の家臣となった苦労は如何程であったか。
○司空曙の「金陵懷古」詩は、五言絶句で、わずか20字に過ぎない。それでも、この「金陵懷古」詩が案内する世界は、相当広いし、相当深い。詩人司空曙は、現前の風景と懐古とを、実に上手く描いているのに感心させられる。
○詩人司空曙(約720~790)にとって、庾信(513~581)は、およそ200年程昔の文人であって、それ程古い時代の人物では無い。司空曙は、「金陵懷古」するのに、多くを語るわけではない。現前のちょっとした風景と庾信の伝聞を伝えるだけである。もちろん、庾信が司空曙の尊敬する先人であることは言うまでもない。
○なお、『百度百科』が案内する「司空曙詩:金陵懷古」の『作品鑑賞』は、なかなかの力作である。大いに参考になった。ただ、あまりに長いので、略するしかない。以下を参照されたい。
・金陵怀古(司空曙诗《金陵怀古》)
http://baike.baidu.com/subview/1127726/5767476.htm#viewPageContent
○同じく、『百度百科』が案内する「司空曙」は、次の通り。
司空曙
司空曙(约720-790),姓名: 司空曙 [唐](约公元七六六年前后在世)字文初,(唐才子传作文明。
此从新唐书)广平(今属河北省)人,大历十才子之一同时期作家: 卢纶 钱起 韩翃 。
http://baike.baidu.com/link?url=bJ1CpfBCkgsnCjvkwnuWBElAdUrUC5VEiLPWzWdKTX2W88Ak_XWvRhfK1xzMnT-a
○『百度百科』が案内する「庾信」は、次の通り。
庾信
庾信(513—581)字子山,小字兰成,北周时期人。南阳新野(今属河南)人。他自幼随父亲庾肩吾
出入于萧纲的宫廷,后来又与徐陵一起任萧纲的东宫学士,成为宫体文学的代表作家;他们的文学风格,
也被称为“徐庾体”。侯景叛乱时,庾信逃往江陵,辅佐梁元帝。后奉命出使西魏,在此期间,梁为西
魏所灭。北朝君臣一向倾慕南方文学,庾信又久负盛名,因而他既是被强迫,又是很受器重地留在了北
方,官至车骑大将军、开府仪同三司;北周代魏后,更迁为骠骑大将军、开府仪同三司,封侯。时陈朝
与北周通好,流寓人士,并许归还故国,唯有庾信与王褒不得回南方。所以,庾信一方面身居显贵,被
尊为文坛宗师,受皇帝礼遇,与诸王结布衣之交,一方面又深切思念故国乡土,为自己身仕敌国而羞愧,
因不得自由而怨愤。如此至老,死于隋文帝开皇元年。有《庾子山集》。
http://baike.baidu.com/link?url=TwnrhhUlRt06Ou3W8EkFzj0jalJhWVvsxMFlL8q-xTQcTEIue_NFpCJ9WLT33nAy