劉禹錫:石頭城
○南京文学として、李白「登金陵鳳凰台」、杜牧「江南春」と案内して来たが、今回は劉禹錫「石頭城」詩を紹介したい。劉禹錫「石頭城」詩は連作で、『金陵五題』と題してある。 劉禹錫:金陵五題 石頭城 山圍故國周遭在 潮打空城寂寞回 淮水東邊舊時月 夜深還過女牆來 烏衣巷 朱雀橋邊野草花 烏衣巷口夕陽斜 舊時王謝堂前燕 飛入尋常百姓家 台城...
View Articleおしえて邪馬台国7
○2014年4月15日版、朝日新聞30面に、久し振りに「おしえて邪馬台国」が出ていた。いつもと違って、今回は相当力が入っているような記事である。小見出しと前書きには、次のようにあった。 吉備 卑弥呼の故郷? 「倭国王がいた地」との説も 邪馬台国論争の舞台なら、九州と近畿が双璧。だが、弥生世界の核となる拠点地域は、ほかにもあ...
View Article劉禹錫:烏衣巷
○前回、劉禹錫『金陵五題』から、「石頭城」詩を案内したが、今回は、同じ『金陵五題』から「烏衣巷」詩を紹介したい。それほど、劉禹錫『金陵五題』は、南京の風景をよく伝えている。...
View Article滿江紅:金陵烏衣園
○「滿江紅」は中国の曲調名である。中国の「维基百科」では、次のように説明する。 满江红 滿江紅为一词牌名,此调为双调93字,前阕4仄韵,后句5仄韵,前阕5、6句、后阕7、8句要对仗。后 阕3字4字也用对仗。 其中最著名的一首為宋朝名將岳飛所作;但是亦有不少人如余嘉錫和夏承等懷疑作者另有其人,而...
View Article文天:金陵驛
○判官贔屓なのは、決して日本人だけではない。中国でも関羽や岳飛は絶大な人気を誇る。文天も、そういう悲劇の武将の一人である。 ○日本でもそうだが、中国でもそういう武将は、様々な伝説や文学に彩られて存在する煌びやかなものとなっている。本ブログでは、前に、岳飛『滿江紅・登黄鶴樓有感』を紹介している。 ・書庫「岳陽・武昌」:ブログ『岳飛:滿江紅・登黄鶴樓有感』...
View Article司空曙:金陵懷古
○中国の検索エンジン百度『百度百科』は、「金陵懷古」について、次のように案内する。 《金陵怀古》是唐宋诗人常作的题目,唐诗中著名的有司空曙、刘禹锡和许浑的作品,宋诗中著名的 有释保暹、王珪、王安石的作品。 ○つまり、「金陵懷古」は唐宋詩人なら、誰もが創る一般的詩題であった。その嚆矢が司空曙の「金陵懷古」詩である。なお、『百度百科』では「金陵懷古」詩として、 ・司空曙诗《金陵怀古》...
View Article王安石:金陵懷古(其四)
○「金陵懷古」と題する詩は、数多く存在する。前回、司空曙の「金陵懷古」を案内した。今回、紹介するのは、王安石の「金陵懷古(其四)」である。 ○王安石の「金陵懷古」詩は、連作で、次の四首がある。 《金陵懷古四首·其一》 霸祖孤身取二江 子孫多以百城降。 豪華盡出成功後 逸樂安知與禍雙。 東府舊基留佛剎 後庭餘唱落船窗。 黍離麥秀從來事 且置興亡近酒缸。...
View Article桂枝香:金陵懷古
○前回、王安石の「金陵懷古(其四)」詩を案内したが、王安石には「桂枝香:金陵懷古」詩が存在し、こちらの方が遙かに人口に膾炙している。 ○『桂枝香』は、『滿江紅』同様、中国の曲調名である。中国の検索エンジン百度の『百度百科』が案内する桂枝香は、次の通り。 桂枝香 《桂枝香》又名《疏帘淡月》。兹以王安石[sup][/sup]《临川先生文集》为准。双片一百零一字。...
View Article滿江紅:金陵懷古
○南京文学として、李白「登金陵鳳凰台」詩から始めて、王安石の「桂枝香:金陵懷古」までで9回を数える。南京文学はまだまだ数多く存在するのだが、旅行記の話が先に進まないので、今回の 薩都刺「滿江紅:金陵懷古」で南京文学がちょうど10回になるのを機に、一応終わりとしたい。 ○2013年10月12日から19日にかけて、江南地方を旅した。これまで、 ・書庫「日本仏教伝来の普陀山」:37個のブログ...
View Article南京から揚州へ
○2013年10月17日、午後1時45分に、南京長途汽車東站 から高速バスに乗って揚州へと向かった。バスの乗客は結構多く、8割ほど席は埋まっている。 ○座席は指定席で、座号20番で、前から5番目の列であった。南京長途汽車東站から3劼曚桧貳牝擦鯀襪塙眤道路へ入った。それから間もなく揚子江を渡った。いわゆる『南京長江第二大橋』である。...
View Article揚州事調べ
○今回の旅行を企画する際、最初、南京に2泊し、ゆっくり南京を探索して回りたいと考えていた。しかし、南京の100キロ東に揚州が存在するので、折角なら、揚州まで足を伸ばしたいと考えた。 ○揚州は、鑑真和上の住持していた大明寺が存在するところとして知られる。また、李白の「黄鶴樓送孟浩然之廣陵」詩の、広陵は揚州市広陵区を意味する。それに何と言っても、揚州は揚子江と大運河が交差するところでもある。...
View Article揚州大明寺
○2013年10月17日、揚州大明寺に到着したのは、午後4時過ぎだった。何しろ、午後1時45分までは南京に居たのであるから、何とも遅い大明寺参拝となってしまった。 ○大通りの平山堂東路から大明寺への参詣道があって、少し登ると、すぐに大明寺碑坊前に出る。奥に門票所があるので、そちらへ行って門票を買い求める。...
View Article鑑真和上
○2013年10月17日に、揚州大明寺へ参詣した。鑑真和上の足跡を辿るためである。日本の仏教史上、鑑真和上は避けて通れない人物である。その鑑真和上が何処で生まれ、どのような修行を行い、日本へと渡って来たかは、甚だ気になる。 ○日本のウィキペディアフリー百科事典は、鑑真和上について、次のように案内する。 鑑真...
View Article鑑真記念堂
○鑑真和上が揚州大明寺を住持していたことを記念して、大明寺には鑑真記念堂が存在する。中国の検索エンジン百度の百度百科は、鑑真記念堂項目を載せている。 鉴真纪念堂 鉴真纪念堂位于扬州市古大明寺内,1973年建成,以纪念对中日两国文化交流作出重大贡献的鉴真和 尚。由我国著名建筑学家梁思成参照鉴真在日本的主要遗物唐招提寺金堂设计建筑,典雅古朴,保存了...
View Article欧陽脩:平山堂
○揚州大明寺境内に、平山堂が存在した。現在の揚州大明寺は、極めて狭い寺域となっているが、もともとは、相当広大な寺域を誇っていたものと思われる。平山堂が存在したのも、その広い寺域の一角であったに違いない。現在の平山堂であっては、欧陽脩の「朝中措:平山堂」に、まるでそぐわないものとなってしまう。...
View Article蘇軾:谷林堂
○2013年10月17日に、揚州大明寺に参拝した。もちろん、揚州大明寺は鑑真和上の住持した寺として知られる。しかし、揚州大明寺は文学の寺でもある。 ○前回、欧陽脩「朝中措:平山堂」詩を案内した。欧陽脩「朝中措:平山堂」詩も佳詩であるが、今回案内する蘇軾「谷林堂」詩も、なかなか佳い。 【原文】 谷林堂 蘇軾 深谷下窈窕 高林合扶疏 美哉新堂成...
View Article天下第五泉
○揚州大明寺には『天下第五泉』の文字があった。これはもちろん、茶文化を意味する。中国江南地方は茶処として知られる。茶文化は、仏教とともに、留学僧によって日本へもたらされたとされる。 ○日本のウィキペディアフリー百科事典の「茶」項目では、次のように説明する。 茶がいつ中国から日本に伝わったのかははっきりしていないが、最近の研究によればすでに奈良時...
View Article揚州紫藤商務酒店ホテル
○揚州大明寺に参詣したのは、2013年10月17日の午後4時過ぎだった。秋の夕暮れ時、落ち着いた雰囲気の中に大明寺は厳かに建っていた。鑑真和上は7世紀から8世紀にかけての人である。その鑑真和上が住持していた頃の大明寺はどういう様子だったのか。甚だ気になった。何しろ、今から1300年も昔の話である。...
View Article文昌閣
○揚州のシンボルタワーと言えば、何と言っても文昌閣だろう。汶河路と文昌路の交差する地点に存在し、ロータリーとなっている。 ○その文昌閣について、中国の検索エンジン百度の百度百科は、次のように説明する。 文昌阁(江苏省扬州市文昌阁) 扬州文昌阁,俗称文昌楼,学名文汇阁,位于江苏扬州汶河路、文昌路交叉处。建于明代万历十三年...
View Article京杭大運河:揚州
○揚州を訪れたのは2013年10月17日の午後で、一泊し、18日には上海に帰る予定であった。揚州では、揚州大明寺に参詣することが最大の目的であった。だから、17日のうちに、揚州大明寺へ一番に参詣した。 ○もう一つ、揚州訪問で訪れたいところが京杭大運河であった。京杭大運河の南端である、杭州の銭塘江と京杭大運河の合流点には、以前、既に訪れている。...
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