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揚州紫藤商務酒店ホテル

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○揚州大明寺に参詣したのは、2013年10月17日の午後4時過ぎだった。秋の夕暮れ時、落ち着いた雰囲気の中に大明寺は厳かに建っていた。鑑真和上は7世紀から8世紀にかけての人である。その鑑真和上が住持していた頃の大明寺はどういう様子だったのか。甚だ気になった。何しろ、今から1300年も昔の話である。

○揚州大明寺を出て、帰ろうとして、平山堂東路の大道でタクシーを拾おうとしたが、平山堂東路は、ちょうど、夕方の混雑時で、車は多いのだがタクシーがなかなか来ない。来たとしても、すでに人が乗車していて、タクシーを拾うのに苦労した。

○近くにバス停があったので、そちらへ行き、バスで帰ろうかとも考えたが、暫く待っていると、反対車線に空車が見えたので、急いで手を振ると、Uターンしてくれた。それでやっとタクシーに乗ることが出来た。

○中国では、田舎に行くほどタクシーは古くなる。もっと田舎へ行くと料金メーターはあるが始動しない。もっともっと田舎へ行くと、タクシーそのもがいないで、白タクとなる。中国の田舎のお寺を廻っていると、そういう旅をするしかない。揚州のタクシーは結構古いものが多かった。

○しかし、中国のタクシーの運転手さんは、皆、極めて親切である。第一、目的地がはっきりしない限り、絶対に行かない。私が場所が判っているから、兎に角、ここへ行ってくれとお願いしても、そこには何も無い、そんなところへ行っても仕方が無いと譲らない。これまで何度もそういう経験をしている。

○大明寺前で拾ったタクシーは古いタクシーだったが、運転手さんは極めて親切であった。中国語が話せないから、相変わらず筆談である。日本からわざわざ、何でこういう田舎へ来るのか、不思議なふうであった。私が鑑真和上の足跡を求めてやって来たと言うと、お前はお坊さんかと聞く。私はお坊さんではないけれども、仏教を調べていると話すと、何とも奇特な人だと言うふうであった。

○タクシーは、文昌閣近くの汶河南路で停車し、運転手さんが、この奥が揚州紫藤商務酒店ホテルだとおっしゃる。私は御礼を述べてタクシーを降りた。午後5時過ぎだが、まだ外は明るかった。

○揚州に宿泊する際、交通利便を第一にホテルを選んだ。その点、揚州紫藤商務酒店ホテルは文昌閣のすぐ傍にあって、何処へ行くにも、頗る便利である。四ツ星ホテルで、私などには勿体ないほど立派なホテルであった。ただ、地方では安全面を考慮して、良いホテルを選ぶしか無い。

○揚州紫藤商務酒店ホテルの前が紫藤街で、揚州時代広場と言う繁華街となっている。揚州時代広場にはたくさんの屋台が出ていて、美味しそうなものがいくらでも並んでいた。

○ホテルに帰って、一休みしてから、再び紫藤街の揚州時代広場前に行き、夕食をとることとする。周囲にレストランや食堂も多いけれども、折角屋台が並んでいるのだから、屋台で夕食を済ませることとした。

○おそらく2、30軒の屋台が建ち並んでいた。その中で、肉の塊を吊るして焼いているのが美味しそうで、人がたくさん並んでいた。そこで夕食をとった。一個買って、足りなかったら、また買いに行こうと思ったら一個で十分だった。一個五元であった。

○揚州紫藤商務酒店ホテルは静かで、落ち着いた雰囲気で、申し分なかった。設備もしっかりしているし、何より清潔できれいであった。建物も真新しい気がした。ここは朝の散歩も楽しめそうである。

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