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天下第五泉

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○揚州大明寺には『天下第五泉』の文字があった。これはもちろん、茶文化を意味する。中国江南地方は茶処として知られる。茶文化は、仏教とともに、留学僧によって日本へもたらされたとされる。

○日本のウィキペディアフリー百科事典の「茶」項目では、次のように説明する。

   茶がいつ中国から日本に伝わったのかははっきりしていないが、最近の研究によればすでに奈良時
  代に伝来していた可能性が強い。ただし、古代に伝わった茶は纏茶(てんちゃ)であったと考えられる。
   一般的には、805年に唐より帰国した最澄が茶の種子を持ち帰り、比叡山山麓の坂本に植えたこと
  にはじまるという。また、空海も茶に親しんだことが、在唐中に求めた典籍を嵯峨天皇に献じた際の
  奉納表の中に記されている。(中略)
   茶の再興は、栄西が1191年に宋(南宋)から種子や苗木を持ち帰ってからである。栄西は、1187年
  から5年間の2回目の渡宋中、素朴を尊ぶ禅寺での抹茶の飲み方を会得して帰ったと考えられる。当初
  は薬としての用法が主であった(戦場で、現在の何倍も濃い濃度の抹茶を飲んで眠気を覚ましていた、
  等)が、栽培が普及すると共に嗜好品として、再び飲まれるようになった。

○また、日本では茶道の歴史が存在する。ウィキペディアフリー百科事典には、次のように説明する。

  【茶道の歴史】
   初めて中国から体系的に茶の知識を持ち込んだ書物は唐の陸羽(733年 - 804年)の書いた『茶経』
  と言われている。この本には、茶の木の育て方、収穫方法と道具、たてかた、飲み方、歴史などが詳
  しく書かれている。
   茶を飲む習慣と茶の製法は平安時代に遣唐使によってもたらされた。当時中国茶は現代の烏龍茶に
  似ただんご状の半発酵茶と考えられている。この茶の色こそが現代日本人のいうところの茶色である。
   当時の日本人は、茶を嗜好品としてよりも薬としてとらえており、必要量のみを煎じて飲んだと考
  えられている。しかし、当時は根付かず喫茶は廃れてしまった。
   鎌倉時代に、日本に禅宗を伝えた栄西や道元によって薬として持ち込まれた抹茶が、禅宗の広まり
  と共に精神修養的な要素を強めて広がっていった。さらに茶の栽培が普及すると茶を飲む習慣が一般
  に普及していった。(中略)
   わび茶はその後、堺の町衆である武野紹鴎、その弟子の千利休によって安土桃山時代に完成される
  に至った。利休のわび茶は武士階層にも広まり、蒲生氏郷、細川三斎、牧村兵部、瀬田掃部、古田織
  部、芝山監物、高山右近ら利休七哲と呼ばれる弟子たちを生んでいく。さらにはわび茶から発展し、
  小堀遠州、片桐石州、織田有楽ら流派をなす大名も現われた。現代では特に武家茶道、或いは大名茶
  などと呼んで区別する場合もある。

○中国では、陸羽が出て、茶の文化を興した。それで陸羽は「茶仙」「茶聖」「茶神」などと称されている。中国の検索エンジン百度の百度百科が案内する陸羽は、次の通り。

      陆羽
   陆羽(733年—804年),字鸿渐,汉族,复州竟陵(今湖北省天门市)人,中国唐代著名的茶文化家
  和鉴赏家。一名疾,字季疵,号竟陵子、桑苎翁、东冈子,又号“茶山御史”。
   陆羽一生嗜茶,精于茶道,以著世界第一部茶叶专著——《茶经》而闻名于世,对中国和世界茶业发展
  作出了卓越贡献,被誉为“茶仙”,尊为“茶圣”,祀为“茶神”。他也很善于写诗,但其诗作目前世
  上存留的并不多。他对茶叶有浓厚的兴趣长期实施调查研究,熟悉茶树栽培、育种和加工技术,并擅长
  品茗。唐朝上元初年(公元760年),陆羽隐居江南各地,撰《茶经》三卷,成为世界上第一部茶叶著。
  《全唐文》中撰载有《陆羽自传》。曾编写过《谑谈》三卷。
  http://baike.baidu.com/link?url=oYi5-qLmzLnxmEhoK5ZAheux8MEGfJezUC4PgVusB3-pN8Eo4V3U1DtLw9VrDugT

○ウィキペディアフリー百科事典にも、陸羽の項目が存在する。

      陸羽
   陸 羽(りく う、733年 - 804年)は、中国・唐代の文筆家。茶の知識をまとめた『茶経』3巻など
  を著述した。またの名を疾、字(あざな)は鴻漸(こうぜん)、季疵、号は桑苧翁と称した。(他か
  らは竟陵子と呼ばれた)。他の著作に『毀茶論』、『君臣契』、『源解』、『陸文学自伝』(『茶
  経』以外は散逸)がある。
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%B8%E7%BE%BD

○揚州大明寺を『天下第五泉』と規定したのは、陸羽を継いだ張又新の「煎茶水記」であると言う。百度百科が案内する張又新は、次の通り。

      张又新
   [唐](约公元八一三年前后在世)字孔昭,深州陆泽人,张荐之子。生卒年均不详,约唐宪宗元和中
  前后在世。初应“宏辞”第一,又为京兆解头,元和九年,(公元八一四年)状元及第,时号为张三头。
  在三次大考中都得第一名,即“解元”、“会元”、“状元”谓之“连中三元”,历史上“连中三元”
  者连他在内仅有17人!历左右补阙、广陵从事。谄事宰相李逢吉,名在“八关十六子”之目。逢吉领山
  南节度,表为司马。逢吉败,坐贬江州刺史。后附李训,迁刑部郎中。训死,复贬申州刺史。终左司郎。
  初,又新志在得美妻,后娶杨虔州女,有无才,殊怏怏。后过淮南李绅,筵上得一歌姬,与之偕老。
  又新嗜茶,著有《煎茶水记》一卷,是继陆羽《茶经》之后我国又一部重要的茶道研究著作。并善写诗
  文等,有《唐才子传》并行于世。
  http://baike.baidu.com/link?url=QvLZoR6R3yIRPKBMTN4tB9w80ICoYE5G98IKYkdY1ER51NXTrCnBmBR2jD52dZ8s

○『天下第五泉』が揚州大明寺であれば、『天下第一泉』以下が気になる。「煎茶水記」に拠れば、次の通りである。
  ・鎮江金山寺中冷泉為第一,
  ・無錫惠山石泉為第二,
  ・蘇州虎丘石泉為第三,
  ・丹陽縣觀音寺水為第四,
  ・揚州大明寺泉水為第五,
  ・松江水為第六,
  ・淮水為第七。

○言うまでも無く茶の美味しさは、茶葉と水とお茶の入れ方に拠る。不思議と、茶の産地と名水の所在地は一致することが多い。揚州大明寺も、そう言う場所の一つなのだろう。

○中国では、花茶の習慣もある。その種類も多く、冷茶として美味しい。以前、九江市で見掛けた。
  ・書庫「廬山・九江」:ブログ『九江港と農工商市』
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/38381036.html

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