○2013年10月17日に、揚州大明寺に参拝した。もちろん、揚州大明寺は鑑真和上の住持した寺として知られる。しかし、揚州大明寺は文学の寺でもある。
○前回、欧陽脩「朝中措:平山堂」詩を案内した。欧陽脩「朝中措:平山堂」詩も佳詩であるが、今回案内する蘇軾「谷林堂」詩も、なかなか佳い。
【原文】
谷林堂
蘇軾
深谷下窈窕
高林合扶疏
美哉新堂成
及此秋風初
我來適過雨
物至如娛予
稚竹真可人
霜節已專車
老槐若無
風花欲填渠
山鴉爭呼號
溪蝉獨清虚
寄懷勞生外
得句幽夢餘
古今正自同
歳月何必書
【書き下し文】
谷林堂
蘇軾
深谷は窈窕に下り、
高林は扶疏に合す。
美なるかな新堂の成り、
此に及ぶ秋風の初め。
我來、適、雨の過ぎ、
物至は予を娛に如かしむ。
稚竹は真に人たるべく、
霜節は已に車を專らにす。
老槐は無の若く、
風花は渠を填さんと欲す。
山鴉は爭ひて呼號し、
溪蝉は獨り清虚たり。
懷を寄す、勞生の外、
句を得、幽夢の餘。
古今は正に自から同じくして、
歳月、何ぞ必ずしも書せんや。
【我が儘勝手な私訳】
深い渓谷は上品に奥ゆかしく流れ下り、
高木の林は大いに枝を繁茂させている。
今、此処に立派な新堂が出来上がり、
季節はちょうど秋風の吹き始める頃合いである。
私が訪れた時には、偶々、雨が降り過ぎた時で、
全ての物が洗われて私を十分楽しませてくれる。
若竹は如何にも人のように真っ直ぐ伸びて、
老竹は十分年月を経て堂々としている。
老大木は自由奔放に枝を張り巡らし、
川霧は運河を覆い尽くそうとしている。
山では鴉が大声で争い、喧噪し、
渓の蝉の声だけが僅かに清々しい。
艱難辛苦の人生の中にも、間違いなく幸福は存在するし、
憂愁憂慮の中からこそ、佳句は誕生するのだ。
今も昔も実は全く同じであって、
時間を問題にすることなど、まるで気にする必要は無いのだ。
○蘇軾(1037~1101)には、先人欧陽脩(1007~1072)に対する尊敬がある。蘇軾「谷林堂」詩は、欧陽脩「朝中措:平山堂」詩を踏まえて作詩されていると考えるべきだろう。
○それが、欧陽脩「朝中措:平山堂」詩の、
文章太守,揮毫萬字,一飲千鐘。
行樂直須年少,尊前看取衰翁。
を踏まえて、蘇軾「谷林堂」詩が、
寄懷勞生外
得句幽夢餘
古今正自同
歲月何必書
と詠じていることは、間違いあるまい。両詩人が心を通じ合っているところがなかなか楽しい。
○こういうのを『遠慮(遠き慮り)』と言う。詩を読む楽しみは、こういうところに存在する。日本にも『遠慮(遠き慮り)』の達人が居ることをなかなか人は理解しない。もちろん、それが芭蕉であることは言うまでもない。
○芭蕉の思想の源泉が道家思想にあることに言及する人は多い。しかし、芭蕉句を道家思想として理解している人は少ない。芭蕉句を理解することは、それほど難しい。
○芭蕉句は、念仏では無い。幾ら有り難がって芭蕉句を唱えたところで仕方の無いことである。芭蕉句を理解したいと望むなら、彼の思想に踏み込むしかない。
○欧陽脩は多分、千里馬なのだろう。そして、蘇軾は伯楽なのに違いない。両者が揃って初めて、文学は成立する。
●現在の揚州大明寺には、大雄寶殿の横に谷林堂が存在し、谷林堂の前に平山堂が建つ。しかし、欧陽脩「朝中措:平山堂」詩や、蘇軾「谷林堂」詩を読むと、もともとの平山堂や谷林堂がそんなものではないことがはっきりする。