○判官贔屓なのは、決して日本人だけではない。中国でも関羽や岳飛は絶大な人気を誇る。文天も、そういう悲劇の武将の一人である。
○日本でもそうだが、中国でもそういう武将は、様々な伝説や文学に彩られて存在する煌びやかなものとなっている。本ブログでは、前に、岳飛『滿江紅・登黄鶴樓有感』を紹介している。
・書庫「岳陽・武昌」:ブログ『岳飛:滿江紅・登黄鶴樓有感』
http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/38277469.html
○ここで案内するのは、文天「金陵驛」詩である。
【原文】
金陵驛
文天
草合離宮轉夕暉,
孤雲飄泊復何依。
山河風景元無異,
城郭人民半已非。
滿地蘆花和我老,
舊家燕子傍誰飛。
從今別卻江南路,
化作啼鵑帶血歸。
【書き下し文】
金陵驛
文天
草は離宮を合して、夕暉を轉じ、
孤雲は飄泊して、復た何づこにか依らん。
山河風景、元異なる無きも、
城郭人民、半ば已に非なり。
滿地の蘆花は、我と和に老い、
舊家の燕子は、誰に傍ひてか飛ぶ。
今より別れ卻る、江南の路、
化して啼鵑と作りて、血を帶びて歸らん。
【我が儘勝手な私訳】
春草は金陵離宮を閉ざすように生い茂り、夕陽は色を変えつつ次第に落ちて行くのに、
空に浮かぶ一片の雲は故郷を離れて彷徨い、何処へ向かおうとしているのだろうか。
山や河の自然の風景は、まるで以前と変わることは無いのに、
古都金陵の人々は、既に半分以上が亡くなっている。
地面全体に生い茂る蘆の花は、私と共に老い、白くなる運命にあり、
旧家の軒先に巣くって居た燕も、今は何処に巣くえば良いか途惑っている。
私はこれから故国江南路と別れて北へ向かおうとしている。
私はこれから鳴き叫ぶ不如帰となるが、血まみれとなってでも帰って来れるだろうか。
○悲壮な覚悟が文天「金陵驛」詩である。今どき、こういう詩は流行らない。しかし、何とも格好良い詩である。そして、古都金陵に如何にも似付かわしい詩である。
○古都金陵は、こういう詩想で二重三重四重五重と彩られて存在する。中国の歴史に疎い日本人は、それを確認するだけでも大変である。
○古都南京を訪れたのは、2013年10月16日であった。何しろ、ここには三世紀の孫権以来の歴史が存在する。ちなみに、文天は一三世紀の人である。中国の検索エンジン百度『百度百科』が案内する文天は、次の通り。
文天祥
文天祥(1236年6月6日-1283年1月9日),初名云孙,字宋瑞,一字履善。自号文山、浮休道人。江
西吉州庐陵(今属江西吉安)人,宋末政治家、文学家,爱国诗人,抗元名臣,与陆秀夫、张世杰并称
为“宋末三杰”。宝祐四年(公元1256年)状元及第,官至右丞相,封信国公。于五坡岭兵败被俘,宁
死不降。至元十九年(公元1282年)十二月初九,在柴市从容就义。著有《文山诗集》、《指南录》、
《指南后录》、《正气歌》等。
http://baike.baidu.com/view/5927.htm