古運河と東関
○2013年10月18日、朝の散歩に、揚州の京杭大運河見学に出掛けた。現在の京杭大運河は揚州市街から更に3、5劼曚錨譴紡減澆靴拭B膠寝呂噺世Δ世韻△辰董△泙気紡膕呂陵輿蠅任△辰拭 ○その後、京杭大運河から古運河のある東関へ向かう。東関前で、朝早くから、京杭大運河まで走ってくれた親切なタクシーの運転手さんと別れた。東関は、揚州の東門になる。...
View Article痩西湖
○揚州を訪問するに際して、旅行前、日本で揚州観光についていろいろと調べた。中国の検索エンジン百度の「百度百科」の揚州項目の著名景点には、 ・瘦西湖、个园、何园、凤凰岛、扬州老街、古运河等 と載せている。瘦西湖は国家5A级旅游景区で、揚州最大の観光スポットであるらしい。 ○「百度百科」が載せる瘦西湖は、次の通り。 瘦西湖 瘦西湖[1](Slender West...
View Article淮河と邗江
○淮河は、中国第三の大河である。日本のウィキペディアフリー百科事典が案内する淮河は、次の通り。 淮河 淮河(わいが、拼音: Huái Hé)は、中華人民共和国を流れる川の一つで、長江・黄河に次ぐ第三 の大河。古くは「河」が黄河の固有名詞であったので、淮水と呼んだ。長さは1,078km、流域面積は1 74,000平方kmに及ぶ。...
View Article马可·波罗(Marco Polo)
○東関前の広場に、马可·波罗(Marco Polo)の銅像があった。マルコ・ポーロは13世紀のヴェネツィアの商人である。ヴェネツィアの商人と言えば、シェークスピアの「ベニスの商人」で有名だが、『ベニス』はヴェネツィアの英語読みである。...
View Article趙氏湯團店
○2013年10月18日の朝は、6時過ぎから京杭大運河を見学し、その後、東関前の古運河を見た後、東関をくぐって、揚州東関街を散策した。 ○揚州東関街を歩いている時、7時を過ぎて、頗る空腹を覚えた。まだ今朝は何も食べていない。食事するところを探したら、「赵氏叠汤圆」の文字が目に入った。...
View Article扬州东关历史文化旅游区・个园
○揚州東関街に存在する観光地は、扬州东关历史文化旅游区であり、个园である。私が揚州東関街を訪れたのは、朝早くであったから、まだ何処も開いていなかった。 ○東端に古運河があり、そこから東関を抜けて、汶河北路まで、およそ1、8劼鯤發い拭9餬掴から西は大東門街となっているから、揚州東関街は、1、2劼曚匹任△襦...
View Article揚州石塔寺石塔
○2013年10月17日は、文昌閣近くの揚州紫藤商務酒店ホテルに宿泊した。夕方、夕食を採るため、ホテル近くを散歩した。揚州時代広場前は、大勢の人が繰り出し、大賑わいであった。屋台が2、30台も立ち並んでいて、その中の一つで吊した肉を焼いたのを蒸しパンに挟んだものを夕食とした。...
View Article何园
○揚州には、何园と个园と言う、有名な庭園が二つあることは旅行前に調べて理解していた。まず、町中から離れた何园を見学し、時間があれば个园も見たいと思っていた。 ○2013年10月18日、朝の6時前に散歩に出て、京杭大運河・古運河・東関・東関街を歩いた後、ホテルに帰って来たのは、8時過ぎだった。何とも長い散歩となってしまった。...
View Article鎮揚城際公交線
○揚州観光の最後は、个园と瘦西湖のつもりだった。个园前の東関街を今朝の散歩の時にすでに歩いていた。しかし、離れて存在する何园を先に見学してから、ゆっくり个园と瘦西湖を観光しようと考えていた。...
View Article隋煬帝:春江花月夜
○何とか、揚州訪問の旅の記述も一通り済んだ。揚州文学について、これまで欧陽脩の「朝中措:平山堂」と蘇軾の「谷林堂」詩を紹介している。 ・書庫「鑑真和上の揚州」:ブログ『欧陽脩:平山堂』 http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/38767236.html ・書庫「鑑真和上の揚州」:ブログ『蘇軾:谷林堂』...
View Article張若虚:春江花月夜
○前回、隋煬帝の「春江花月夜」詩を紹介した。名詩は名詩を呼ぶ。隋煬帝の没後、およそ半世紀を経て、張若虚の「春江花月夜」詩が誕生する。 【原文】 春江花月夜 張若虚 春江潮水連海平、海上明月共潮生。 灩灩隨波千萬里、何處春江無月明。 江流宛轉繞芳甸、月照花林皆似霰。 空裏流霜不覺飛、汀上白沙看不見。...
View Article杜牧:揚州三首
○揚州では杜牧を忘れることも出来ない。杜牧は揚州に833年から3年間居住し、その後837年にも揚州を訪れている。その杜牧に「揚州三首」詩がある。 揚州三首 杜牧 煬帝雷塘土,迷藏有舊樓。 誰家唱水調,明月滿揚州。 駿馬宜出,千金好暗游。 喧闐醉年少,半脫紫茸裘。 秋風放螢苑,春草斗雞台。 金絡雕去,鸞環拾翠來。...
View Article杜牧:遣懷
○前回、杜牧の「揚州三首」詩を案内したが、揚州文学は、まるで杜牧の独壇場である。その中でも、もっともよく知られているのは、杜牧「遣懷」詩ではないか。 【原文】 遣懷 杜牧 落魄江南載酒行 楚腰繊細掌中輕 十年一覺揚州夢 贏得樓薄倖名 【書き下し文】 遣懷 杜牧 江南に落魄し、酒を載せ行く、...
View Article「卑弥呼の墓」最古写真
○2014年5月19日(月)の宮崎日々新聞第22面に、「『卑弥呼の墓』最古写真」と題した記事が載り、驚いた。寡聞にして、卑弥呼の墓が発見された事実を知らない。これは恐ろしい報道である。 ○よくよく読むと、次のような見出しが躍っているではないか。 「卑弥呼の墓」最古写真 奈良・箸墓古墳 宮内庁保存:1876年撮影 墳丘鮮明 ○その案内文には、次のようにあった。...
View Article杜牧:題揚州禅智寺
○杜牧「題揚州禅智寺」詩は、開成二(837)年の作と伝えられている。杜牧35歳の時である。弟杜が眼を患い、揚州禅智寺へ逗留しているのを見舞う為に、洛陽から、遥々揚州へとやって来た時の詩である。 【原文】 題揚州禅智寺 杜牧 雨過一蝉噪 飄蕭松桂秋 青苔満階砌 白鳥故遅留 暮靄生深樹 斜陽下小楼 誰知竹西路...
View Article杜牧:張好好詩
○杜牧の「揚州三首」詩から、「遣懷」「寄揚州韓綽判官」「贈別 」「贈別其二」「嘆花」「題揚州禅智寺」と続けて来たが、そろそろ 杜牧揚州詩も最後としたい。 ○杜牧の「張好好詩」は、正確には、杜牧揚州詩ではない。ただその詩情は、極めて杜牧揚州詩に近いものがあると判断する。それで敢えて、ここに入れておきたい。 【原文】 張好好詩(並序) 杜牧...
View Article東京スカイツリー
○4月に所用で横浜に出掛けた。叔父と二人旅であった。折角上京するのであるから、叔父の見物したいところへ行こうと話したところ、スカイツリーへ行きたいと言う。それで、スカイツリーへ行く事となった。...
View Articleあさくさ浅草寺
○スカイツリーから降りた後、天気が良かったら、言問橋を渡って浅草寺へ参詣するつもりだった。しかし、あいにくの雨模様であった。仕方が無いから、都営銀座線へ乗って、浅草へ向かった。 ○2番出口を出ると、すぐにあさくさ浅草寺雷門である。扁額には金龍山の金文字が目映い。まだ朝の9時だと言うのに、浅草は大勢の参詣客で大賑わいである。よくよく観察すると、修学旅行生と中国からの観光客が多かった。...
View Article隅田川下り
○童謡「花」には、 春のうららの隅田川 のぼりくだりの船人が 櫂のしづくも花と散る ながめを何にたとふべき とある。隅田川と言えば、やはり、川下りだろう。折角の叔父との二人旅であるから、浅草から川下りをしようと思っていた。...
View Article言問橋と業平橋
○隅田川界隈を、東京スカイツリー、あさくさ浅草寺、隅田川下りと続けているが、既に9世紀に、この辺りを彷徨い歩いた男が居る。それが在原業平(825~880)である。 ○そのことについての詳しい記述が「古今和歌集」巻九:羇旅歌にある。 武蔵の国と下総の国との中にある隅田川のほとりに至りて、都のいと恋しうおぼえければ、しばし...
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