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芭蕉旅立隅田川送別

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○今回の旅行で、隅田川を訪れたのは、2014年4月18日だった。伊勢暦で確認すると、旧暦の3月19日とあった。

○「奥の細道」序は、古来、名文として知られる。

   月日は百代の過客にして、行きかふ年も又旅人也。舟の上に生涯をうかべ、馬の口とらへて老を迎
  かふる者は、日々旅にして、旅を栖とす。古人も多く旅に死せるあり。予もいづれの年よりか、片雲
  の風にさそはれて、漂泊の思ひやまず、海浜にさすらへ、去年の秋、江上の破屋に蜘蛛の古巣をはら
  ひて、やや年も暮れ、春立てる霞の空に、白川の関こえんと、そぞろ神の物につきて心をくるはせ、
  道祖神のまねきにあひて取もの手につかず、もも引の破れをつづり、笠の緒付かえて、三里に灸すゆ
  るより、松島の月先づ心にかかりて、住める方は人に譲り、杉風が別墅に移るに、
    草の戸も住み替る代ぞひなの家
  面八句を庵の柱に懸け置く。

○続く『旅立ち』も、なかなか遜色ない。

   彌生も末の七日、明ぼのの空朧々として、月は有明にて光をさまれる物から、不二の峰幽かにみえ
  て、上野・谷中の花の梢、又いつかはと心ぼそし。むつましきかぎりは宵よりつどひて、舟に乗りて
  送る。千じゆと云ふ所にて船をあがれば、前途三千里のおもひ胸にふさがりて、幻のちまたに離別の
  泪をそそぐ。
    行く春や鳥啼き魚の目は泪
   是れを矢立の初めとして、行道なほ進まず。人々は途中に立ちならびて、後かげのみゆる迄はと、
  見送るなるべし。

○松尾芭蕉が「奥の細道」の旅に出立したのは、元禄2年(1689年)の3月27日となる。もちろん、旧暦であるから、今年であれば、4月26日になる。

○この時、芭蕉は深川から千住まで舟で隅田川を遡っている。深川から浅草までがおよそ3辧∪陲ら千住までは5劼△襪ら、およそ8劼料ノ垢任△襦
  彌生も末の七日、明ぼのの空朧々として、月は有明にて光をさまれる物から、
  不二の峰幽かにみえて、上野・谷中の花の梢、又いつかはと心ぼそし。
とあるから、旅立ちは朝だったことが判る。用意周到な旅だったことは、
  ・去年の秋、江上の破屋に蜘の古巣をはらひて、
とあることから想像されるし、
  ・住める方は人に譲り、
  ・草の戸も住み替る代ぞひなの家
ともあるから、相当の覚悟を抱いての旅立ちだったと思われる。

○ただ、表現者は曲者の芭蕉であるから、とても鵜呑みには出来ない。美意識の塊みたいな男であるから、脚色や創作は御手の物である。何処までが真実で、何処からが創作なのか、今ではほとんど区別することは難しい。

○その証拠に、ここには、隅田川のことなど、一言も記されていない。まして、在原業平のことなど、微塵も無い。しかし、この文を読んで、春の麗らの隅田川を想像出来ないようでは、芭蕉の読者にはなれない。都鳥を見て、涙する業平一行の情景が思い浮かばないようでは、この文は読んでも仕方が無い。

○『あづま路の道の果てよりも、なほ奥つ方』が、今は『花の都、江戸』となっている。その『花の都、江戸』から旅立ちしようとするのが芭蕉なのである。見送りも、
  ・明ぼのの空朧々
  ・月は有明
  ・不二の峰幽かに
  ・上野・谷中の花の梢
と申し分無い役者が勢揃いしている。

○その芭蕉が「奥の細道」の矢立の初めとした句が、
  行く春や鳥啼き魚の目は泪
である。芭蕉がこの句に万感の思いを込めていることは間違いない。

○何とも芭蕉と言う男は大袈裟な俳人と言うしかない。芭蕉が読者に要求するのは、おそらく荆轲の易水送別に他ならない。

      易水送別
  太子及賓客知其事者,皆白衣冠以送之。
  至易水之上,既祖,取道。
  高漸離撃筑,荆轲和而歌,为变徴之声。士皆垂泪涕泣。
  又前而為歌曰:「風蕭蕭兮易水寒,壮士一去兮不復還」
  復為羽声慷慨,士皆瞋目,髪盡上指冠。
  於是荆轲就車而去,终已不顧。
  【書き下し文】
  太子及び賓客、其の事を知る者、皆白衣冠して、以て之を送る。
  易水の上に至り、既に祖し、道を取らんとす。
  高漸離、筑を撃ち、荊軻、和して歌ひ、変徴の声を為す。士、皆泪を垂れて涕泣す。
  又、前みて歌を為りて曰く「風蕭蕭として易水寒し。壮士一たび去りて復た還らず」と。
  復た羽声を為し、慷慨す。士、皆目を瞋らせ、髪盡く上りて冠を指す。
  是に於いて、荊軻、車に就きて去り、终に已に顧みず。

○芭蕉は、別に刺客でも何でも無い。単なる俳人に過ぎない。これはまるで壮大な妄想である。しかし、芭蕉に相当の覚悟と決意が存在したことだけは間違いない。もともと滑稽は、俳諧では大事な要件となっている。

○2014年4月18日に隅田川を下った。今から325年前に、芭蕉はここを遡っている。ほぼ、同じ季節に隅田川を眺めた。あいにくの雨天で、
  風蕭蕭兮易水寒     風蕭蕭として易水寒し。
  壮士一去兮不復還    壮士一たび去りて復た還らず。
と吟じる芭蕉の悲声が聞こえてくるように感じた。

●なお、『行く春や鳥啼き魚の目は泪』句は、あまりに難しい。ここで簡単に解説することも不可能である。以下を参照されたい。
  ・書庫「奥細道俳諧事調」:ブログ『行く春や鳥啼き魚の目は泪』
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/16244088.html
から、
  ・書庫「奥細道俳諧事調」:ブログ『行く春や鳥啼き魚の目は泪ー句解13』
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/17148641.html
まで、『行く春や鳥啼き魚の目は泪』句について、14個のブログを書いて句解している。

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