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浜離宮

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○2014年4月18日に、「TOKYO CRUISE:海抜0mからの東京発見」の『隅田川ライン』で、浅草から浜離宮までを川下りした。「TOKYO CRUISE」のHPには、次のような案内が載っている。

      隅田川ライン
    浅草(35分)→浜離宮(5分)→日の出桟橋
   隅田川めぐりを楽しむ約40分の船の旅。「浅草」と「日の出桟橋」との間にかかる12の橋は、吾妻
  橋や清洲橋など色や形の個性的な橋ばかり。名所・旧跡を紹介する船内アナウンスに耳を傾け、変貌
  する東京港の姿を眺めれば、江戸の情緒と、東京の「今」が発見できることでしょう。
  【日の出桟橋】
   日の出桟橋からは、浅草を結ぶ隅田川ライン、お台場海浜公園を結ぶお台場ライン、東京ビッグサ
  イト・パレットタウンを結ぶ東京ビッグサイト・パレットタウンラインが運航されています。2012年
  6月からは、浅草と日の出桟橋、お台場を結ぶ「ホタルナライン」が就航。ちょっと優雅にクルーズ
  気分を味わってみたい方にはお勧めです。また、日の出桟橋にはカフェとエアーストリームが併設さ
  れているのでお茶や軽食をお楽しみいただけます。
  【浅草】
   浅草からは浜離宮を経て日の出桟橋に向かう隅田川ライン、お台場を結ぶ浅草・ お台場直通ライ
  ンが出ています。 吾妻橋や清洲橋など色や形の個性的な橋や名所・旧跡を紹介する船内アナウンス
  に耳を傾け、変貌する東京港の姿を眺めれば、江戸の情緒と、東京の「今」が発 見できます。
  【浜離宮】
   浜離宮からは、日の出~浅草を結ぶ隅田川ラインが運行されています。 浜離宮は潮入の池と二つ
  の鴨場をもつ江戸時代の代表的な大名庭園です。
   潮入の池とは、海水を導き潮の満ち干によって池の趣を変えるもので、海辺の庭園で通常用いられ
  ていた様式で、現在は実際に海水が出入りしているのは、この浜離宮だけになります。
   この地は、寛永年間(1624~1644年)までは、将軍家の鷹狩場で、一面の芦原でした。1654年、四
  代将軍家綱の弟で甲府宰相の松平綱重は将軍から海を埋め立てて甲府浜屋敷と呼ばれる別邸を建てる
  許しを得るとその後、この屋敷は将軍家の別邸となり、名称も浜御殿と改められました。
   以来、歴代将軍によって幾度かの造園、改修工事が行なわれ、十一代将軍家斉のときにほぼ現在の
  姿の庭園が完成しました。
  https://www.suijobus.co.jp/cruise/line/su_line.html

○10時ちょうどに浅草を出航し、浜離宮に到着したのは、定刻の10時35分であった。途中、雨が降ったりしたが、下船した時には雨があがっていて助かった。同船していた、百名ほどの修学旅行生の後を付いて降りる。

○学生時代を東京で過ごしたが、浜離宮は初めてである。あまり、学生には縁の無い場所であった。ウィキペディアフリー百科事典が案内する浜離宮恩賜庭園は、次の通り。

      浜離宮恩賜庭園
   東京都立浜離宮恩賜庭園(とうきょうとりつ はまりきゅう おんし ていえん)は、東京都中央区
  浜離宮庭園にある都立庭園である。
  【概要】
   東京湾から海水を取り入れ潮の干満で景色の変化を楽しむ、潮入りの回遊式築山泉水庭。江戸時代
  に庭園として造成された。園内には鴨場、潮入の池、茶屋、お花畑、ボタン園などを有する。もとは
  甲府藩の下屋敷の庭園であったが、将軍家の別邸浜御殿や、宮内省管理の離宮を経て、東京都に下賜
  され都立公園として開園。
   複数の茶屋の復元計画が進められており、2014年度に「燕の御茶屋」が完成予定である。
  【主な見所】
    ・鴨場 - 鴨の猟をおこなうために作られた池。
    ・潮入の池 - 海水を引き入れ、潮の干満による眺めの変化を楽しむことが出来るようになって
      いる。東京湾から魚が入り込んで生育しており、江戸時代には釣りが行われていた。
    ・中島 - 潮入の池の中央に位置する小さい島。
    ・中島の御茶屋 - 中島にある休憩所。
    ・松の御茶屋 - 潮入りの池のほとりにある茶屋。(利用不可)
    ・三百年の松 - 江戸時代、徳川家宣が改修したときに植えられたと伝わる。東京都内最大の黒松。
    ・ボタン園 - 60種800株が植えられている。
    ・お花畑 - 季節の花が咲きほこる。
    ・桜 - 種類が多いため見頃が比較的長い。春はライトアップされる。
    ・他の樹木 - 松、ケヤキなど多種。園内には多くの大木が残されている。
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%9C%E9%9B%A2%E5%AE%AE%E6%81%A9%E8%B3%9C%E5%BA%AD%E5%9C%92

○通り過ぎるだけのつもりだったが、叔父が「折角だから、見て行こう」と言うので、浜離宮探索をした。「三百年の松」は、流石に見事で、一本で森を為している風情があった。その他の樹木も手入れがよくされていて、浜離宮の庭であることに感心した。

○広い芝生の庭があったが、もともと、ここには明治時代、延遼館と言う建物が存在したらしい。叔父は庭木に興味があって、その手入れの良さに頻りに感心していた。一本の松の手入れだけで、数日は要するだろうと言う。そういう松の木がたくさん存在した。また、これだけ年期の入った松の木は庭木としては珍しいらしい。

○我が家あたりの梅の木は、伸び放題、自由勝手に枝を延ばしているけれども、浜離宮の梅の木は、まるで梅の木らしくない剪定がなされていて、幹も枝も短く太い。以前、湯島天神の梅の木の手入れの良さに驚いたが、ここの梅の木も同じような手入れがなされていた。

○ずっと歩いて行くと、潮入りの池にでた。中島が造作されていて、御茶屋まで設えてある。手前に松の茶屋が復元されていて、その脇に、松の木が池に匍うように出ているのが見事であった。

○その先に御亭山と言う高台があり、展望所のようになっていたので、そこへ登って、展望を楽しんだ。借景と言うけれども、近代高層ビル群を借景にして、緑の庭園は美しい。それに、ここが東京のど真ん中であることを忘れさせるほど、ここは静かであった。一時、休憩をした。

○案内図で、庚申堂鴨場と新銭座鴨場の二つの鴨場を確認出来た。鴨場は、鬱蒼とした森に囲まれていて、ここなら如何にも猟が出来そうな雰囲気があった。

○浜離宮は、何も無い感じだが、出掛けてみると、意外に多くの発見があった。十分時間のある時、のんびりすれば、多くのことを知ることが出来るのではないか。今度の旅行で、叔父が最も気に入った場所の一つが浜離宮であった。

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