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江島辯才天信仰

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○現代の江の島は、観光の島である。そのことは、ウィキペディアフリー百科事典が載せる「江の島」項目を見ても、明らかである。

      江の島
   江の島(えのしま)は、神奈川県藤沢市にある湘南海岸から相模湾へと突き出た陸繋島。また、同
  島全体を指した地名。片瀬地区(旧片瀬町地域)に属する。現行行政町名としては江の島一丁目と江
  の島二丁目があり、全域が住居表示実施地域。郵便番号は251-0036(藤沢郵便局管区)。
  【地理】
   湘南を代表する景勝地であり、古くから観光名所となっている。神奈川県指定史跡・名勝、日本百
  景の地である。交通機関の駅名などでは江ノ島と表記することも多いが、住居表示・公文書等で使わ
  れる公称地名は「江の島」と表記する。古くは江島神社(日本三大弁天の一つ)に代表されるように
  「江島」と表記されていたこともある。この項では、陸繋島および地名の江の島について記すが、一
  般的には対岸の片瀬、鵠沼地区南部を含む一帯の観光地として認識されることが多い。
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E3%81%AE%E5%B3%B6

○しかし、もともと、江の島は信仰の島であった。ウィキペディアフリー百科事典の「江島神社」項目には、次のように載せる。

      江島神社
   江島神社(えのしまじんじゃ)は、神奈川県藤沢市江の島にある神社である。旧社格は県社で、現
  在は神社本庁の別表神社。日本三大弁天の一つに数えられる。
  【祭神】
   宗像三女神を祀る。島の西方の「奥津宮(おくつみや)」に多紀理比賣命、中央の「中津宮(なか
  つみや)」に市寸島比賣命、北方の「辺津宮(へつみや)」に田寸津比賣命をそれぞれ祀り、「江島
  大神」と総称する。
   江戸時代までは弁財天を祀っており、江島弁天・江島明神と呼ばれた。幕末に日本を訪れたロドル
  フ・リンダウ(Rodolphe Lindau)は、著書Un Voyage Autour du Japon, Paris, 1861(『日本周航
  記』)のp.287で、この弁財天についてOmanko-samaの別名がある、と記している。
   現在の祭神は明治の神仏分離の際に改められたものである。辺津宮境内の奉安殿には八臂弁財天と
  妙音弁財天が安置されている。
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E5%B3%B6%E7%A5%9E%E7%A4%BE

○ウィキペディアフリー百科事典の記事内容には、かなり問題があるものも存在するから、注意を要する。上記説明で、『(江島神社は)日本三大弁天の一つに数えられる』とあるけれども、本来、日本三大弁天は、竹生島(宝厳寺)、宮島(厳島神社)、天河大辨財天社と、昔から決まっている。江戸文化が隆盛して、江島神社参詣が盛んになるにつれ、日本三大弁天の一つだと喧伝されるようになったのではないか。

○それに、
  幕末に日本を訪れたロドルフ・リンダウ(Rodolphe Lindau)は、著書Un Voyage Autour du Japon,
  Paris, 1861(『日本周航記』)のp.287で、この弁財天についてOmanko-samaの別名がある、と記し
  ている。
の記事など、江島神社を説明するのに、さほど重要な記録でも無い。どうしてここに特記されているかが、まるで判らない。

○そもそも、辯才天信仰がどういうものであるかさえ理解しないで、日本三大弁天を有り難がったところで、仕方があるまい。江の島は、本来、金亀山与願寺境内である。

○辯才天信仰の不幸は、それが神仏習合の神であり佛であったことにあるような気がしてならない。1868年に神仏判然令が出され、全国的に廃仏毀釈運動が巻き起こった。

○「古事記」や「日本書紀」を読むと、日本では神話の時代に、すでに神仏習合であったことが判る。そういうものを後世に分離したところで、得るものより、失うものの方が遙かに多い。

○「江の島」と言う地名そのものが辯才天信仰の地であることを意味している。それなのに、江の島には、現在、宗像三女神が祀られていると言う。そんな不幸は無い。

○もっとも、日本三大弁天が辯才天信仰の聖地として崇められているが、そこが日本辯才天信仰発祥の地であるわけでは無い。日本辯才天信仰発祥の地は、鹿児島県鹿児島郡三島村硫黄島である。

○当古代文化研究所では、そのことについて、すでに詳細な検証を加えている。
  ・書庫「吉野山の正体」:29個のブログ
  ・書庫「熊野から天川村・吉野・国中への旅」:17個のブログ
  ・書庫「三島村・薪能「俊寛」」:38個のブログ
  ・書庫「竹生島」:12個のブログ
  ・書庫「硫黄島」:42個のブログ
  ・書庫「Camellian硫黄島」:30個のブログ
  ・書庫「奥駈道を歩く(吉野から弥山まで)」:33個のブログ
  ・書庫「安芸・宮島・弥山」:26個のブログ
  ・書庫「ツワブキの硫黄島」:33個のブログ
  ・書庫「竹島・硫黄島・黒島」:20個のブログ

○辯才天を載せる仏典については、以下を参照されたい。
  ・書庫「海天佛国:普陀山」:ブログ『金光明經の大辯天』
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/36438549.html
  ・書庫「海天佛国:普陀山」:ブログ『金光明最勝王經の大辯才天女 
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/36441915.html
  ・書庫「海天佛国:普陀山」:ブログ『金光明最勝王經の大辯才天女◆
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/36445172.html
  ・書庫「海天佛国:普陀山」:ブログ『金光明最勝王經の大辯才天女』
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/36448985.html
  ・書庫「海天佛国:普陀山」:ブログ『不空羂索神變眞言經の辯才天女』
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/36457116.html
  ・書庫「海天佛国:普陀山」:ブログ『大隨求陀羅尼經の辯才天』
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/36460978.html
  ・書庫「海天佛国:普陀山」:ブログ『妙法蓮華經の辯才天』
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/36461150.html

○江の島を訪れる人は多い。しかし、本来、江の島がどういうところであるかを理解している人は少ないのではないか。実に勿体ない話である。

○少なくとも、江戸時代までは、江の島は信仰の島として崇められていたことは間違いない。本来、物見遊山は、寺社仏閣に参詣することにあった。極めて宗教色の強い行事であった。現在の江の島訪問客に、信仰心から訪れる人がどれほどいるであろうか。

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