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韓愈:祝融峰

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○折角、南岳衡山を訪れたのである。少し、南岳衡山文学にも触れておきたい。最初に紹介したいのは、韓愈の「祝融峰」詩である。

○南岳衡山には『衡山四絶』と言う言葉がある。南岳衡山でもっとも優れた景物が『衡山四絶』である。それは、次の通り。
  1)祝融峰之高、
  2)藏经殿之秀、
  3)水帘洞之奇、
  4)方广寺之深、

○中国の検索エンジン百度の「百度百科」が案内する祝融峰は、次の通り。

      祝融峰
   祝融峰位于湖南省衡阳市北部的南岳区,北纬27°18′6″,东经112°41′05″,挺拔突起,高出芙蓉、
  紫盖、天柱、祥光、烟霞、轸宿诸峰之上,祝融峰,海拔1300.2米,高耸云霄,雄峙南天,是南岳衡山
  72峰的最高峰和主峰。其景点包括老圣殿、上封寺、望月台、南天门、会仙桥等景点,是一个以自然景
  观为主,人文景观为辅的景区。每年数以百万计的游客来此观日出,看云海,赏雪景。“祝融万丈拔地起,
  欲见不见轻烟里”,“祝融峰之高”被誉为“南岳四绝”之首。
  http://baike.baidu.com/link?url=iMUltZrJX6DHWYLkbkX5SxCLCGILhz_ZJwW1XyJE608wG5vu8fJ1p6qcMBsnorpt

○その祝融峰に登って来た。
  ・書庫「南岳衡山」:ブログ『南岳衡山:祝融峰』
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/38919545.html

○そういう祝融峰を、韓愈は次のように表現している。

  【原文】
        祝融峰
         韓愈
    祝融萬丈拔地起
    欲見不見輕煙里
    山翁愛山不肯歸
    愛山醉眠山根底
    山童尋著不敢驚
    沈吟為怕山翁瞋
    夢回抖擻下山去
    一徑蘿月松風清

  【書き下し文】
        祝融峰
         韓愈
    祝融は万丈、地を拔きて起ち、
    見んと欲して見えず、軽煙の里。
    山翁は山を愛し、帰るを肯んぜずも、
    愛山は酔眠して、山の根底たる。
    山童は著を尋ぬるも、敢へて驚かずして、
    沈吟して怕れを為せば、山翁の嗔る。
    夢回抖擻して、山より下り去れば、
    一径蘿月、松風清し。

  【我が儘勝手な私訳】
    祝融峰は南岳衡山第一の高峰で、抜きん出て高く、
    祝融峰山頂から俗世を見ようにも、見ることも出来ない。
    老樵夫がいくら山好きで、山から出ることをなかなか承知しなくても、
    肝心の山は、ひたすら酔い眠っているばかりで、山の全てをさらけ出して見せる。
    若樵夫が山の奇観を尋ね歩いて、まるで驚かなくても、
    沈吟したり懼れを為せば、山神は目を怒らして怒る。
    南岳衡山で修行し、清浄な身となって、山から下りると、
    木の葉の間から照る月が小径を照らし、松風が涼しい。

○聖山南岳衡山の中でも、祝融峰は特別の山である。ある意味、八百里、七十二峰の聖山南岳衡山は、祝融峰を中心に存在する。それは現在の南岳衡山でも同じである。人はまず、山下の南岳大廟にお参りし、それから山上の祝融峰を目指すのが普通である。もちろん、私も同じことをした。順序は逆であったけれども。

○祝融峰は、標高1300辰曚匹了海鵬瓩ない。その高さは、決して突出したものではない。ところが南岳衡山を訪れてみると判るのだが、祝融峰は、やはり特別の山である。南岳衡山で、祝融峰は特別高い。雲の上に孤高して屹立しているのが祝融峰だと誰もが理解する。

○南岳衡山が信仰の山であることも見逃せない。祝融の御名にしたところで、中国古代の帝王名である。

      祝融(中国上古神话人物、火神)
   祝融,本名重黎,中国上古帝王,以火施化,号赤帝,后尊为火神、水火之神、南海神,古时三皇五
  帝五帝之一(有争议),葬衡阳市南岳区。据山海经记载,祝融的居所是南方的尽头衡山,是他传下火
  种,教人类使用火的方法,常在高山上奏起悠扬动听、感人肺腑的乐曲,相传名为《九天》,使黎民百
  姓精神振奋,情绪高昂,对生活充满热爱。另一说祝融为颛顼帝孙重黎,高辛氏火正之官,黄帝赐他姓
  “祝融氏”。在日常用语中,「祝融」是火的代名词。祝融死后,葬在南岳衡山之阳,后人为了纪念他,
  就把南岳最高峰称为祝融峰。
  http://baike.baidu.com/subview/13695/6380266.htm?fr=aladdin

○中国人の凄いところは、そんな祝融峰の山頂に、祝融の為に、立派な宮殿を建てていることである。それも石の宮殿である。信仰の力の偉大さを今更ながら実感させられる。祝融峰山頂に立つことは、祝融の宮殿にお参りすることを意味する。韓愈の「祝融峰」詩は、そういうことをよく伝えている。

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