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天孫降臨の世界山

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○これまで、「魏志倭人伝」を読み、問題点を10個に絞って論じてきた。整理しておくと、
【「魏志倭人伝」上段556字】
  ・「魏志倭人伝」の主題
  ・邪馬台国への道
  ・「魏志倭人伝」の序文
  ・水行陸行
【「魏志倭人伝」中段827字】
  ・會稽東冶之東
  ・所有無與儋耳朱崖同
  ・卑弥呼の鬼道
  ・參問倭地、周旋可五千餘里
  ・黥面文身
【「魏志倭人伝」下段601字】
  ・親魏倭王卑彌呼

○「魏志倭人伝」には、まだまだ面白い問題が多々存在するのだが、取り上げたら切りがない。一応、基本的な問題は網羅したつもりである。結果、倭国三十国は、
  【渡海三国】
    ・狗邪韓国・対馬国・壱岐国
  【北九州四国】
    ・末廬国・伊都国・奴国・不弥国
  【中九州二十国】
    ・斯馬国・巳百支国・伊邪国・都支国・邇奴国・好古都国・不呼国
    ・姐奴国・対蘇国・蘇奴国・呼邑国・華奴蘇奴国・鬼国・為吾国・
    ・鬼奴国・邪馬国・躬臣国・巴利国・支惟国・烏奴国・(奴国)
  【南九州三国】
    ・投馬国・邪馬台国・狗奴国
と案内され、帯方郡から邪馬台国までの道程も、次のようであることが判った。
  【帯方郡から邪馬台国への道のり】
    ・帯方郡→狗邪韓国     七千余里
    ・狗邪韓国→対馬国      千余里
    ・対馬国→壱岐国       千余里
    ・壱岐国→末廬国       千余里
    ・末廬国→伊都国       五百里
    ・伊都国→ 奴国        百里
    ・ 奴国→不弥国        百里
    ・不弥国→投馬国     水行二十日
    ・投馬国→邪馬台国    水行十日、陸行一月

○しっかり「魏志倭人伝」を読むと、このように倭国や邪馬台国は案内されていることが判る。邪馬台国が畿内だとか、北九州だとする説は、まるで「魏志倭人伝」に拠らない妄想の説だとするしかない。

○それでは、具体的に邪馬台国は何処かを論じてみたい。結論から先に示すと、邪馬台国は旧薩摩国であり、狗奴国は旧大隅国であり、投馬国は旧日向国となる。もっとも、記紀に拠れば、この三国は、もともと一つの国で、日向国と称されていた。

○日本で、最も古い史書とされるのは「古事記」であり「日本書紀」である。ともに八世紀の書物である。「魏志倭人伝」は三世紀の書物とされるから、およそ五百年の年代差がある。

○その「古事記」と「日本書紀」が、日本の始まりと規定しているのは、日向国である。学者先生はそれを神話だから、扱うに足らないとおっしゃるけれども、伝承は極めて大事だし、意外に真実を伝えていることが多い。

○日向神話に拠れば、天孫降臨の世界山から日本は始まっている。その肝心の天孫降臨の世界山ですら、日本では正確に規定されていない。本ブログでは、2007年に、書庫「神代三山陵の研究」の中で、既に詳細に論じているので、そちらを参照していただくしかない。
  ・書庫「神代三山陵の研究」:ブログ『神代三山陵の研究Α
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/496447.html
  ・書庫「神代三山陵の研究」:ブログ『神代三山陵の研究А
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/500386.html
  ・書庫「神代三山陵の研究」:ブログ『神代三山陵の研究─
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/512644.html
  ・書庫「神代三山陵の研究」:ブログ『神代三山陵の研究』
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/513745.html

○その後、幾度となく検証を加えて、別に、書庫「天孫降臨の世界山」を書いている。
  ・書庫「天孫降臨の世界山」:37個のブログ
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/folder/1215462.html?m=l&p=1

○「魏志倭人伝」に拠れば、三世紀に南九州に邪馬台国が存在したと言う。その南九州を八世紀の「古事記」や「日本書紀」は、日本の始まりだと記録している。これは、決して偶然ではあるまい。意外に日本の歴史は新しい。

○三世紀の「魏志倭人伝」を信じるか、それとも、八世紀の「古事記」や「日本書紀」を信用するか。難しい問題ではあるけれども、私は陳寿の「魏志倭人伝」を信用するしか無いと思っている。何しろ、外国の史書であるから、利害関係が無い分、信用出来る。

○確認のために、「古事記」と「日本書紀」が記載する天孫降臨の地の全記録を整理すると、次のようになる。
  「古事記」    竺紫日向之高千穂之久士布流多気(つくしのひむかのたかちほのくじふるたけ)
  「日本書紀」本文 日向襲之高千穂峯(ひむかのそのたかちほのたけ)
           槵日二上天浮橋(くしひのふたがみのあまのうきはし)
       一書 |淹臚眄虔槵觸之峯(つくしのひむかのたかちほのくじふるのたけ)
       一書◆‘槵日高千穂之峯(ひむかのくしひのたかちほのたけ)
       一書 日向襲之高千穂槵日二上峯天浮橋(ひむかのそのたかちほのくしひのふたがみの
                            たけのあまのうきはし)
       一書ぁ‘映傾眄虔翕沙格覆劼爐のそのたかちほのそほりのやまのたけ)

○表現はそれぞれ異なるけれども、これらの記録は全て天孫降臨の山と言う、同一の場所を記録したものと考えられる。だから、これらの条件全てを充たすところこそが天孫降臨の山であることは言うまでもない。そこがすなわち、日本創世の地だと言うことになる。

○南九州へ行くと、天孫降臨の世界山がどういう山であるかを理解することが出来る。日本の創世を知りたかったら、南九州へ出掛けるしか無い。もちろん、そこが邪馬台国であることは言うまでも無い。

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