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王勃:滕王閣序・解⑤

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○今回は、王勃の「秋日登洪府滕王閣餞別序」の第5節を案内したい。

  【原文】
      秋日登洪府滕王閣餞別序【第5節】
             王勃
    嗟乎!時運不齊,命途多舛。
    馮唐易老,李廣難封。
    屈賈誼於長沙,非無聖主。
    竄梁鴻於海曲,豈乏明時?
    所君子安貧,達人知命。
    老當益壯,寧移白首之心。
    窮且益堅,不墜青雲之志。
    酌貪泉而覺爽,處涸轍以猶懽。
    北海雖賒,扶搖可接。
    東隅已逝,桑榆非晚。
    孟嘗高潔,空餘報國之心。
    阮籍猖狂,豈效窮途之哭?

  【書き下し文】
      秋日登洪府滕王閣餞別序【第5節】
             王勃
    嗟乎!時の運は齊しからず、命途は多舛なり。
    馮唐は老易く、李廣は封ずること難し。
    賈誼の長沙に屈するは、聖主の無きに非ず。
    梁鴻の海曲に竄するは、豈に明時の乏しからんや。
    君子のる所は機を見、達人(の頼る所は)命を知るにあり。
    老いて當に益壯なるべきは、寧ろ白首の心を移さんや。
    窮して且に益堅なるべきは、青雲の志を墜さざらんや。
    貪泉を酌んで、爽を覺え、轍の涸する處、以て猶ほ歡となすがごとし。
    北海は賒しと雖も、扶搖の接すべし。
    東隅の已に逝くも、桑榆は晚くに非ず。
    孟嘗は高潔なれども、空しく餘す、報國の情。
    阮籍は猖狂なれども、豈に窮途の哭を效さんや。

  【我が儘勝手な私訳】
    嗚呼、運・不運の廻り合わせは、人皆同じでは無い、
      人の命運は不順に充ち満ちている。
    前漢の時代に馮唐と李廣と言う優れた人物が存在したが、
      馮唐は既に老齢であり、李廣には任命するのに欠点があった。
    賈誼が長沙に左遷された際に、聖主が居なかったわけではないし、
      梁鴻が呉の地で困窮したのは、どうして君子の時代で無かったと言えようか。
    優れた人物は、好都合な状況や時期をすぐに把握し的確に行動出来る人であり、
      道の達人は、天命を知ることを至上とする。
    老齢となり、益々豪壮であろうと言うのは、寧ろ老人の志願するところであり、
    艱難困窮して、益々意志堅固となることは、立身出世の志を貶めたりはしない。
    意志は貪泉の水を酌み飲んでも、気にせず、爽快さを感じ、
      身体は緊急避難の状況あっても、あたかもそれを寧ろ歓楽とするようなものだ。
    北海がいくら遠く離れているとは言っても、旋風に乗れば辿り着くことが出来る。
    日の出の時刻は既に過ぎ去ってしまったが、まだ日没であるわけではない。
    孟嘗君田文は高潔の士であったが、国に尽くす志を果たすことが十分出来ず、
    阮籍は風狂な男であったが、そんな阮籍がどして絶望の憤慨を吐露しようか。

○前節の第4節は、滕王閣を舞台に、漢の文帝梁孝王の睢園や、彭澤の陶淵明、建安文學の集大成者曹植、南朝宋の詩人謝靈運、屈原、賈誼などが登場し、視界には、西の彼方の都長安や、東の彼方の呉の会稽を登場させ、南の南溟、北の北辰まで出現した。

○何とも、詩人王勃の考えることは凄まじい。普通、一つか二つの故事来歴を披露して、さり気なくその実力を誇示するのが、詩人の常套手段である。ところが王勃は違う。とことん、ありとあらゆること、ありとあらゆるものを序文に登場させて、これでもかと言うふうに、羅列して止まない。それも、馮唐と李廣、賈誼、孟嘗君、阮籍と、登場する人物は有名人ばかりである。

○学識の無い私は、それに戸惑い、一つ一つ、一人一人、面倒な確認作業を続けるしかない。いい加減にしろ王勃と、怒鳴ってやりたいところであるが、相手は1338年も昔に、とっくに亡くなっているのだから、どうしようもない。

○お陰で、「挙案斉眉」と言う言葉を知ったし、「青雲之志」の故事成語が滕王閣序に由来することを理解した。滕王閣序を読み続けていると、毎日が学習である。苦しさが半分、楽しさが半分と言ったところだろうか。

○これでようやく第5節まで進むことが出来た。滕王閣序全体は8節になる。やっと先が見えて来たような気がする。

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