○無名氏「長干曲」に引き続き、揚州文学として、孟浩然の「宿桐廬江寄廣陵舊遊」詩を案内したい。李白の「黄鶴樓送孟浩然之廣陵」詩で、武昌の黄鶴樓から李白に見送られた孟浩然は、廣陵での任官に失敗し、杭州から銭塘江の上流、桐廬江に滞在している。
○その桐廬江で、廣陵での舊遊を懐かしんで作った詩が「宿桐廬江寄廣陵舊遊」詩である。
【原文】
宿桐廬江寄廣陵舊遊
孟浩然
山暝聽猿愁
滄江急夜流
風鳴兩岸葉
月照一孤舟
建非吾土
維揚憶舊遊
還將兩行涙
遙寄海西頭
【書き下し文】
桐廬江に宿し、廣陵の舊遊に寄す
孟浩然
山暝くして、猿愁を聽き、
滄江は、急にして夜に流る。
風は鳴る、兩岸の葉、
月は照らす、一孤舟。
建は、吾が土に非ず、
維揚は、舊遊を憶ふ。
還た兩行の涙を將て、
遙かに海西の頭に寄す。
【我が儘勝手な私訳】
桐廬江に滞在し、廣陵の舊遊を懐かしむ詩
孟浩然
私が現在居る桐廬江は、山が深いところで、猿のもの悲しい鳴き声が聞こえ、
青々と深い桐廬江は急流で、夜でも流れる音が聞こえるほどである。
桐廬江では、風は絶え間なく兩岸の木の葉を吹き鳴らしていて、
桐廬江では、月は川面に私の孤舟を照らして浮かび上がらせる。
この桐廬江の存在する建の地は、私にとって馴染めないところで、
貴方が住む揚州維揚は、嘗ての滞在を懐かしく思い出させる。
幾度となく、両方の目から涙を流し、
遙か彼方、海西のほとり、揚州維揚の貴方にこの詩を贈る。
○孟浩然は、「建は、吾が土に非ず」と言いながら、結構、丁寧に桐廬江の様子を伝えている。現在、桐廬江や建は、千鳥湖と言う人造湖となって、杭州の観光地として知られる。
○流石、詩人であるから、存分にその心情を伝えようと、孟浩然は「宿桐廬江寄廣陵舊遊」詩で、懸命に現状を訴えている。漱石なら、
帰ってうんと考え込んだ。世間にはずいぶん気の知れない男がいる。家屋敷はもちろん、勤める学
校に不足のない故郷がいやになったからと言って、知らぬ他国へ苦労を求めに出る。それも花の電車
の通っている所なら、まだしもだが、日向の延岡とはなんのことだ、おれは船つきのいいここへ来て
さえ、一か月たたないうちにもう帰りたくなった。延岡といえば、山の中も山の中もたいへんな山の
中だ。赤シャツの言うところによると船から上がって、一日馬車へ乗って、宮崎へ行って、宮崎から
また一日車へ乗らなくては着けないそうだ。名前を聞いてさえ、開けた所とは思えない。猿と人とが
半々に住んでるような気がする。いかに聖人のうらなり君だって、好んで猿の相手になりたくもない
だろうに、なんというものずきだ。
と表現するところである。孟浩然と漱石とでは、まるで人間の出来が違う。それ程、孟浩然にとって揚州は好ましい土地であったことが判る。
○中国の検索エンジン百度の「百度百科」が案内する『宿桐廬江寄廣陵舊遊』は、次の通り。
宿桐庐江寄广陵旧游
《宿桐庐江寄广陵旧游》是诗人孟浩然的五言律诗,被选入《全唐诗》的第160卷第18首。此诗是作
者离开长安东游时,途中寄给旧友的。前四句描绘了一幅月夜行舟图:猿声在夜中传来江流滔滔不断,
树叶萧萧而下,极写景色的寥落凄寂,同作者凄凄惶惶的心情互为衬映。后四句借景生情,怀念友人,
情景融合得很自然。月夜宿孤舟,心中愁闷,自然而生怀友之情,因而热泪横流。
此诗写宿桐庐江的夜间景色的旅途的孤寂情怀,将忆旧与乡思寄给朋友,运用情景交融的手法,更加
突出作者对旧友的思念和失意后的愤激孤苦。
http://baike.baidu.com/view/155050.htm?fr=aladdin