揚州:花局里
○「花局里」とは、また風流な名である。私が今回の旅行で揚州に泊まった先は、个園国際青年旅舎だったが、その个園国際青年旅舎が存在するところの通りの名が花局里であった。中国の検索エンジン百度の「百度百科」にも、しっかりその項目が存在する。 花局里 花局里位于扬州古城东区,南依“双东”历史街区之东关街,西邻中国四大名园之个园,北临盐阜路工...
View Article揚州から鎮江へ
○2014年6月22日、朝の散歩から帰った後、荷物を整理して、宿泊先である揚州个園国際青年旅舎を出たのは、朝の7時前であった。そのまま个園北正門が存在する盐阜東路でタクシーを拾う。 ○今日の予定は、鎮江観光が目的である。昨年10月に揚州を訪れた際にも、鎮江を経て上海まで帰ったが、その時は揚州汽車客運站から鎮江の鎮江南站へ行き、そのまま上海へ向かったので、鎮江市内を全く見ていない。...
View Article無名氏:長干曲
○揚州大明寺の売店に書籍コーナーがあって、「大明寺」(馬家鼎・周澤華・周鑫著)、「揚州文選」(馬家鼎著)、「揚州詩咏」(李保華著)などの本を買って来た。一通り、読んでみたが、印象に残る詩文が多い。 ○揚州文学については、昨年揚州を初めて訪問した際、すでに以下のように案内している。 ・書庫「鑑真和上の揚州」:ブログ『隋煬帝:春江花月夜』...
View Article鎮江港客運站
○揚州から鎮江まで高速バスでやって来た。長江に架かっている大橋の名は潤揚長江公路大橋と言う。中国の検索エンジン百度の「百度百科」が載せる潤揚長江公路大橋は、次の通り。 润扬长江大桥 润扬长江大桥位于江苏省镇江、扬州两市西侧,为中国第一大跨径的组合型桥梁,其建设过程中攻克 多项世界性技术难题。 2000年开工建设,2005年完工。...
View Article孟浩然:宿桐廬江寄廣陵舊遊
○無名氏「長干曲」に引き続き、揚州文学として、孟浩然の「宿桐廬江寄廣陵舊遊」詩を案内したい。李白の「黄鶴樓送孟浩然之廣陵」詩で、武昌の黄鶴樓から李白に見送られた孟浩然は、廣陵での任官に失敗し、杭州から銭塘江の上流、桐廬江に滞在している。 ○その桐廬江で、廣陵での舊遊を懐かしんで作った詩が「宿桐廬江寄廣陵舊遊」詩である。 【原文】 宿桐廬江寄廣陵舊遊 孟浩然...
View Article鎮江金山寺案内
○鎮江は長江を挟んで揚州の対岸に存在する。嘗て、この辺りの長江は、「廣陵潮」と称されているように、海に接するところであった。現在では、長江の河口は鎮江から250劼眦貎覆靴討い襦 ○京杭大運河も鎮江で長江と交差している。昨年10月に、揚州で京杭大運河を見に出掛けた。 ・書庫「鑑真和上の揚州」:ブログ『京杭大運河:揚州』...
View Article王昌齢:客広陵
○揚州文学として、今回は王昌齢の「客広陵」詩を案内したい。 【原文】 客広陵 王昌齢 楼頭広陵近 九月在南徐 秋色明海県 寒烟生里閭 夜帆帰楚客 昨日度江書 為問易名叟 垂綸不見魚 【書き下し文】 広陵に客す 王昌齢 楼頭、広陵に近く、 九月、南徐に在り。...
View Article鎮江金山寺の蓮花
○鎮江の金山寺に参詣したのは、2014年6月22日のことであった。旧暦なら5月25日である。山門をくぐると、すぐ左手に一面が蓮葉に覆い尽くされた堀が見えた。その一面の蓮葉の中に、鮮やかな紅い蓮花が咲いている。それが何とも美しい光景であるのに驚いた。 ○多分、楊万里が「曉出淨慈寺送林子方」詩で絶賛する西湖は、このような光景ではないかと想像した。 曉出淨慈寺送林子方 楊万里...
View Article李白:秋日登揚州栖霊塔
○2014年6月21日に、揚州大明寺へお参りしてきた。 ・書庫「痩西湖・个園」:ブログ『揚州大明寺再訪』 http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/39129399.html ○昨年、2013年10月17日にも、揚州大明寺へ参詣している。 ・書庫「鑑真和上の揚州」:ブログ『揚州大明寺』...
View Article鎮江金山寺
○鎮江金山寺の創建は、晋の明帝(323~325)の時だと言うから、相当古い。南京の鶏鳴寺の創建は東晋の永康元年(300年)だし、揚州の大明寺は南朝宋の孝武帝の大明年間(457—464年)である。そういう古寺に匹敵するのが鎮江金山寺である。参考までに、南京の鶏鳴寺と揚州の大明寺参詣のブログを掲載しておく。 ・書庫「六朝古都:南京」:ブログ『南京:鶏鳴寺』...
View Article高適:登広陵栖霊寺塔
○前回、李白の「秋日登揚州栖霊塔」詩を案内したので、今回は、高適の「登広陵栖霊寺塔」詩を紹介したい。 【原文】 登広陵栖霊寺塔 高適 淮南富登臨 茲塔信奇最 直上造雲族 憑虚納天籟 迥然碧海西 獨立飛鳥外 始知高興盡 達與賞心會 連山黯吳門 喬木吞楚塞 城池滿窗下 物象歸掌內 遠思駐江帆...
View Article鎮江三山風景名勝区
○昨年10月に揚州大明寺に参詣した際、上海への帰り道、鎮江を通った。鎮江は長江を挟んで揚州の対岸に位置する町である。その時、鎮江にも古い歴史が存在することを知り、いろいろ調べた。 ○日本の「ウィキペディアフリー百科事典」では、鎮江を次のように案内する。 鎮江市 鎮江市(ちんこうし)は中華人民共和国江蘇省に位置する地級市。古くから商業都市として発達し た国家歴史文化名城である。...
View Article劉長卿:登揚州栖霊寺塔
○李白の「秋日登揚州栖霊塔」詩は、天宝13年(754)に作られ、高適の「登広陵栖霊寺塔」詩の成立は、至徳2年(757年)春であった。今回紹介する劉長卿の「登揚州栖霊寺塔」詩の成立は、劉長卿が淮南節度使となった最晩年の788年頃と思われる。 【原文】 登揚州栖霊寺塔 劉長卿 化塔凌空虚、雄觀壓川澤。 亭亭楚雲外、千里看不隔。...
View Article焦山
○焦山は孤島である。その船着き場が象山となっている。象山へ到着したのが11時45分頃であった。道路脇に広大な広場があって、その右手に門票処があり、そこで50元を支払って門票を手に入れる。ちなみに、金山も50元で、北固山は30元であった。...
View Article劉禹錫:同楽天登栖霊寺塔
○劉禹錫と白楽天とは、ともに唐の叡文孝武皇帝の大暦七年(772年)生まれで、同年である。詩人としての評価はともに高い。この時代、劉禹錫(772~842)と白楽天(772~846)だけでは無く、韓愈(768~824)や柳宗元(773~819)も、ほぼ同年代の文人である。...
View Article北固山甘露寺
○鎮江三山の一つ、焦山を後にしたのは午後1時過ぎであった。2014年6月22日は、朝10時に金山寺へ参詣してから焦山へ向かった。鎮江三山のもう一つ、北固山は金山と焦山の間に存在する。 ○つまり、鎮江三山は、長江の上流から金山、北固山、焦山と並んでいる。金山と北固山の間は、およそ4劼如∨霧濃海半濃海隆屬蓮¬鵤魁■記劼任△襦...
View Article白居易:与夢得同登栖霊塔
○前回、劉禹錫と白楽天が二人で揚州栖霊寺塔へ登った際に、作詩した劉禹錫「同楽天登栖霊寺塔」詩を案内した。今回案内するのは、白居易「与夢得同登栖霊塔」詩である。 【原文】 与夢得同登栖霊塔 白居易 半月騰騰在広陵 何楼何塔不同登 共憐筋力猶堪任 上到栖霊第九層 【書き下し文】 夢得と同じく栖霊塔に登る...
View Article鎮江三山
○鎮江三山を知ったのは、2013年10月に揚州から鎮江を経て上海へ帰る時であった。折角、鎮江を通るのであるから、時間があったら、鎮江の名所も見ておきたいと思った。その時、金山寺が存在することを知った。 ○それで、金山寺についていろいろと調べているうちに、鎮江三山が存在することが判った。中国の検索エンジン百度の百度百科が案内する鎮江三山は、次の通り。 鎮江三山...
View Article陳潤:登栖霊塔
○「揚州詩咏」(李保華著)には載せていないけれども、諸本で、陳潤「登栖霊塔」詩を見付けた。陳潤は、中国の検索エンジン百度の「百度百科」でさえ、 陈润(唐代诗人) 【简介】 陈润,唐朝人,大历间人,终坊州鄜城县令。 としか載せない。まるで不明な詩人である。 【原文】 登栖霊塔 陳潤 塔廟出招提 登臨碧海西 不知人意遠...
View Article王湾:次北固山下
○中国の検索エンジン百度の百度百科が案内する北固山項目に、『诗韵北固』の項目があって、3首が掲載されているのが気になった。今回案内するのは、その第一首、王湾の「次北固山下」詩である。 【原文】 次北固山下 王湾 客路青山外 行舟緑水前 潮平両岸闊 風正一帆懸 海日生残夜 江春入旧年 郷書何処達...
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