○前回、劉禹錫と白楽天が二人で揚州栖霊寺塔へ登った際に、作詩した劉禹錫「同楽天登栖霊寺塔」詩を案内した。今回案内するのは、白居易「与夢得同登栖霊塔」詩である。
【原文】
与夢得同登栖霊塔
白居易
半月騰騰在広陵
何楼何塔不同登
共憐筋力猶堪任
上到栖霊第九層
【書き下し文】
夢得と同じく栖霊塔に登る
白居易
半月は騰騰として、広陵に在り、
何れの楼、何れの塔、同じく登らざらん。
共に筋力を憐れみ、猶ほ任に堪ふるがごとくして、
上り到る、栖霊の第九層。
【我が儘勝手な私訳】
八日月は高く、広陵の町の上に在り、煌々と広陵の町を照らし出しているのが見える。
何処の町でも、何処の塔にも、これまで、こうやって二人で登ることは無かった。
二人とも年老い体力が落ち、本当にこの揚州栖霊寺塔に無事登れるか疑問だったが、
何とか最上階の第九層まで二人一緒に登り得たことが、無性に嬉しい。
○劉禹錫が「同楽天登栖霊寺塔」詩で詠んだのは、登塔の喜びであった。白居易が「与夢得同登栖霊塔」詩で詠じるのも、当然、同じ喜びである。しかし、二人の表現は、微妙に違う。
○劉禹錫は、
歩歩相携不覚難 歩歩相携へて難を覚えず、
と詠じ、二人で登れば、登塔に難儀は無いと言うけれども、白居易は逆に、
共憐筋力猶堪任 共に筋力を憐れみ、猶ほ任に堪ふるがごとくして、
と詠じ、二人が老齢で登塔するのに苦労すると訴える。
○二人が詠じる栖霊塔も、随分違う。劉禹錫は、
九層雲外倚闌干 九層の雲外、闌干に倚る。
とその高さを強調し、
無限遊人挙眼看 無限の遊人、眼を挙げて看る。
と衆人の多さを訴えている。
○それに対して、白居易は、
半月騰騰在広陵 半月は騰騰として、広陵に在り、
と最初に断じ、
何楼何塔不同登 何れの楼、何れの塔、同じく登らざらん。
と詠じて、二人での登塔を強調する。
○劉禹錫の「同楽天登栖霊寺塔」詩と白居易の「与夢得同登栖霊塔」は、それぞれがそれぞれを補完して成り立っている。同じ風景を二人の詩人がこのように詠じていることが面白い。劉禹錫の想う白居易と、白居易の想う劉禹錫の差がここにある。
○2013年10月17日に、揚州大明寺に参詣し、栖霊寺塔を見た。今回、2014年6月21日に、揚州大明寺へ再度参拝し、栖霊寺塔を見上げた。揚州大明寺で、やはり、栖霊寺塔は格別である。今回、
・李白:秋日登揚州栖霊塔
・高適:登広陵栖霊寺塔
・劉長卿:登揚州栖霊寺塔
・劉禹錫:同楽天登栖霊寺塔
・白居易:与夢得同登栖霊塔
と五つの詩を鑑賞したが、揚州大明寺で栖霊寺塔がどれほど愛されているかを知ることが出来よう。大明寺栖霊塔が存在したのは、601年から843年までの、およそ240年間に過ぎない。