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焦山

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○焦山は孤島である。その船着き場が象山となっている。象山へ到着したのが11時45分頃であった。道路脇に広大な広場があって、その右手に門票処があり、そこで50元を支払って門票を手に入れる。ちなみに、金山も50元で、北固山は30元であった。

○2014年6月22日の正午頃で、兎に角暑いのに閉口した。日差しを全く遮る物も無い広場を横切って船乗り場へと急いだ。焦山へは、象山から船に乗って行かなくてはならない。22日は日曜だったからか、観光客が多かった。

○ちょうど、前の船が出たばかりで、焦山からの船が着くところであった。乗客が降りるのを待って乗船。一番最後に乗ったので、席に座らず、最前列に立っていた。その方が見物したり、写真を撮るのに都合が良かった。

○どのみち、行き先の焦山は500辰曚廟茲妨えている。わざわざ席に座るまでもない距離である。私以外にも数人立っている乗客がいた。5分足らずで、あっという間に、焦山へ到着。これなら、船では無くて、橋を架けた方がずっと便利である。しかし、景観上、ここは、やはり、船なのであろう。

○焦山側の船着き場の先には、立派なお寺が見えている。そこが焦山定慧寺であった。焦山定慧寺は真新しく造られたもので、見所はほとんど無い。中国の検索エンジン百度の百度百科が載せる焦山定慧寺も、以下が全文で、僅かなものである。

      焦山定慧寺
   焦山定慧寺,坐落在中国江苏省镇江市东北部长江当中的小岛焦山之上。汉族地区佛教全国重点寺院
  之一。
  【寺院简介】
   该寺始建于东汉兴平年间,原名普济寺,宋朝时称普济禅院,元代改称焦山寺。清朝康熙皇帝南巡至
  此,改为定慧寺。基本保持了明代的建筑风格。以佛学胜。
   定慧寺在明代为全盛时期,有殿宇98间、和尚3000人,参禅的僧侣达数万人。当时定慧寺两旁还有18
  个庵寺,称“十八房”。
   茗山法师在1980年代到1990年代,驻锡与此。
  http://baike.baidu.com/view/7976607.htm?fr=aladdin

○焦山定慧寺自体は、創建が後漢最後の皇帝である漢献帝劉協の興平(194年-195年)年間だと言うから、相当な古刹である。

○また、焦山には、その名由来に後漢隠士、焦光の故事がある。『百度百科』が載せる焦光は、次の通り。

      焦光
   皎皎高贤疑是仙,深心难测孝然边。智推三诏逍遥洞,幽僻山门自在天。
   云雾阁中宜独坐,蜗牛壳里好安眠。清风袖底如知己,得傍瓜庐又一年。
  【人物简介】
   东汉隐士:焦光
   焦光,字孝然,三国时魏国河东郡(治所在今山西省夏县)人,后居住在江苏镇江。隐士。
   汉灵帝三度下诏请去做官而拒绝。隐居荒野河边草庐中,见人不语,冬夏不穿衣,睡不铺席,数天吃
  一顿饭,相传活了一百多年。
  http://baike.baidu.com/view/1079113.htm

○焦山定慧寺参詣後、いよいよ焦山登山を目論む。もっとも、焦山の標高は、僅か71辰鵬瓩ない。ゆっくり登っても15分ほどで山頂である。焦山山頂には七層の萬佛塔が建っている。『百度百科』には、次のような案内がある。

      万佛塔(江苏省镇江市佛塔)
   万佛塔位于焦山顶峰,塔体高42米,海拔70.4米,建筑面积583平方米。
   万佛塔是一座明清式具有江南风格的仿古塔。七级八面,上有天宫,下有地宫。塔内设两套楼梯上下
  分流,外有栏杆相倚。每层回廊四通,八面有景,凭栏远眺,江天景色,尽收眼底。夜间天空中放射出
  八束光柱,为过往船人指引迷津。
   万佛塔塔院设前后门厅、左右碑廊、厢房,错落有致,与塔相映成趣。前后大门两侧墙上嵌有“海不
  扬波”、“中流砥柱”八个苍劲有力的石刻大字,更加体现了万佛塔庄严盛瑞的英姿。
  http://baike.baidu.com/subview/453575/11227986.htm#viewPageContent

○中国には塔が多い。中には登って心配な塔もあったりする。この焦山萬佛塔も、結構不安な塔であった。しかし、眺望は絶景である。怖さを忘れて眺望を楽しんだ。

○私は、半日で鎮江三山を見ようとするハードスケジュールであるから、急いで焦山へ登ったが、ほとんどの観光客は一日掛けて鎮江三山を参詣する人々であるからか、のんびりと歩いていた。暑い最中、兎に角、移動が大変であった。

○焦山定慧寺は、往時、
  ・有殿宇98间、和尚3000人,参禅的僧侣达数万人。当时定慧寺两旁还有18个庵寺,称“十八房”。
を誇ったと言う。その面影がまるで無いのが残念でならない。

○インターネットで検索していたら、次のページを見付けた。非常に参考になった。

      記念茗山法师往生10周年
      焦山定慧寺简介
   江苏定慧寺始建于东汉兴平年间,距今已有1800多年历史。原名普济寺,宋朝时称普济禅院,元代改
  称焦山寺,清康熙南巡来游焦山时将春改名为“定慧寺”,一直沿用至今。
  http://www.honghuashe.com/zt/ms10/mydoc200.html

○茗山法师については、『百度百科』にも詳しい。

      茗山法师
   茗山法师(1914—2001),江苏省盐城县西乡人氏(今属江苏建湖)人;自幼随母信佛,19岁在家乡
  位于收成庄的罗汉院剃度出家,20岁到镇江焦山定慧寺受具足戒,1933考入佛学院第一届肄业;抗战期
  间,茗山在湖南南岳、衡阳等地,办理佛教会会务,创办佛学讲习所,及出任过衡阳、来阳、宁乡一带
  的寺院的住持;抗战胜利后返回定慧寺任监院兼佛学院教务主任;1947年出席中国佛教会代表大会,当
  选为中国佛教会理事;建国后,相继担任定慧寺、栖霞寺方丈、中国佛教协会常务理事、副会长等职;
  茗山佛学造诣高深,精诗文、擅书法,著有《茗山文集》行世;此外尚有《华严经普贤行愿品讲义》、
  《弥勒上生经讲义》等流通;2001年6月1日圆寂。
  http://baike.baidu.com/view/650293.htm

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