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李白:秋日登揚州栖霊塔

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○2014年6月21日に、揚州大明寺へお参りしてきた。
  ・書庫「痩西湖・个園」:ブログ『揚州大明寺再訪』
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/39129399.html

○昨年、2013年10月17日にも、揚州大明寺へ参詣している。
  ・書庫「鑑真和上の揚州」:ブログ『揚州大明寺』
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/38758869.html

○その揚州大明寺で、もっとも目立つ存在が栖霊塔である。もちろん、中国の検索エンジン百度の百度百科にも、栖霊塔項目が存在する。

      栖灵塔
   栖灵塔是早在隋文帝仁寿元年(公元601)于大明寺内建栖灵塔, 塔高九层,塔内供奉佛骨,谓之佛
  祖即在此处。本焚僧大觉遗灵之言,故称“栖灵塔”。可惜在唐武宗会昌三年(公元843)一代胜迹化
  为焦土。
   1980年,鉴真大师塑像回扬“探亲”,谷界人士倡议重建栖灵塔。1988年,大明寺方丈瑞祥法师在该
  寺东园选址重建栖灵塔并立奠基石。端祥法师圆寂后,能修法师主持大明寺工作。于1993年8月27日开
  机钻探。不久栖灵塔将以空前之新貌展现于人间。
  http://baike.baidu.com/view/1331491.htm?fr=aladdin

○大明寺栖霊塔の建立は601年だと言うから、今から1400年以上も昔のことである。ただ、843年には焼失したらしい。だから、大明寺栖霊塔が存在したのは、601年から843年までの、およそ240年間のことになる。

○現在の揚州大明寺の栖霊塔は1993年に再建されたものである。その高さは70辰世噺世Α2燭箸睥派な塔である。その揚州大明寺の栖霊塔に、李白は登っている。

  【原文】
      秋日登揚州栖靈塔
         李白
    寶塔凌蒼蒼  登攀覽四荒
    頂高元氣合  標出海雲長
    萬象分空界  三天接畫梁
    水搖金剎影  日動火珠光
    鳥拂瓊簾度  霞連繡栱張
    目隨征路斷  心逐去帆揚
    露浴梧楸白  霜催橘柚黃
    玉毫如可見  於此照迷方

  【書き下し文】
      秋日、揚州の栖霊塔に登る
         李白
    寶塔は蒼蒼として凌ぎ、
    登攀して四荒を覽る。
    頂高は元氣の合し、
    標出して海雲の長し。
    萬象は空界に分け、
    三天は畫梁に接す。
    水は搖れ、金剎の影、
    日は動き、火珠の光る。
    鳥は瓊簾を拂つて度り、
    霞は繡栱を連ねて張る。
    目は征路に隨つて斷たれ、
    心は去帆を逐つて揚げらる。
    露は梧楸を浴びて白く、
    霜は橘柚の黄を催す。
    玉毫、見るべきが如し、
    此に於いて、迷方を照すを。

  【我が儘勝手な私訳】
    揚州の大明寺の栖霊塔は大空に高く聳え、
    その栖霊塔に登り、四方を遠望する。
    栖霊塔頂には根源の現象が感じられ、
    それが現れ出でて空に雲となって広がっている。
    あらゆる現象は無辺の虚空のもとに存在し、
    欲界天と色界天と無色界天の三天が栖霊塔の極彩色装飾の屋梁に架かっている。
    痩西湖の湖面に風が吹くと、栖霊塔の影を揺らし、
    太陽は刻々と移動しながら、栖霊塔を照らし続ける。
    栖霊塔では鳥だって玉簾の向こうに、同じ高さで飛んでいるし、
    栖霊塔では霞だって欄間の向こうに、同じ高さに流れている。
    真下に見える道路を目で追うと、地平線で遮られ、
    帆船での旅を思うと、去り行く舟の帆が眩しい。
    秋露は梧桐や楸樹の黄葉に照らされて白くなるし、
    秋霜に拠って、橘や柚は黄色さを増す。
    大明寺栖霊塔に登れば、正に見ることが出来る、
    御佛の御光があらゆる迷いを導き照らし出してくれることを。

○揚州大明寺の栖霊塔は、揚州市街の北西部に位置する。栖霊塔と揚州市街との間に広がっているのが痩西湖風景区である。現代の大明寺境内は、相当狭い。嘗ては頗る広大な境内だったと想像される。

○李白が揚州大明寺に参詣し、栖霊塔に登っていることが面白い。李白の諸作品を読むと判ることだが、意外に李白は仏教に通暁していることに驚く。この「秋日登揚州栖靈塔」詩にしたところで、相当仏教に詳しくないと、なかなかこのようには表現出来ない。

○忘れてならないことは、古代中国でも神仏混淆は当たり前のことである。それは、南山衡山や廬山を訪れてみるとよく判る。そういうことを理解しない限り、詩は読めない。

○もちろん、鑑真和上も、この栖霊塔を眺めている。和上が生きた時代は688年から763年で、李白は701年から762年となっている。この二人に面識があったかどうかは不明である。

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