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欧陽脩:朝中措・平山堂

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○昨年10月に揚州を初めて訪れ、その際、『揚州文学は、まるで杜牧の独壇場である』と勝手に断じたが、今年6月に揚州を再訪し、揚州大明寺の売店で買って来た「揚州詩咏」(李保華著)を読んでいると、なかなか揚州文学は奥が深い。

○それでも、揚州文学で、杜牧が突出していることは間違いない。ただ、揚州大明寺には、欧陽脩所縁の平山堂が存在するし、揚州大明寺前の大路の名は、平山堂路と呼ばれる。それほど、揚州では欧陽脩や平山堂は知られた存在である。

○今回案内するのは、欧陽脩の「朝中措・平山堂」である。

  【原文】
      朝中措・平山堂
          欧陽脩
    平山欄檻倚晴空  山色有無中。
    手種堂前垂柳  別来幾度春風。
    文章太守  揮毫万字  一飲千鐘。
    行楽直須年少  尊前看取衰翁。

  【書き下し文】
      朝中措・平山堂
          欧陽脩
    平山の欄檻、晴空の倚り、山色に無中有り。
    手種し堂前の垂柳、別来す、幾度の春風。
    文章太守は、万字を揮毫し、千鐘を一飲す。
    行楽は直だ須らく年少のみならんや、尊前、衰翁を看て取る。

  【我が儘勝手な私訳】
    平山堂の欄干は、雲一つ無い空を背景に、遠くに江南の山々が見え隠れしている。
    以前手植えした平山堂前の枝垂れ柳に、
      これまで幾度春風が訪れ、去って行ったことだろう。
    揚州太守である私、欧陽脩は、
      平山堂を来訪すれば、一度に万字を揮毫し、一度の宴会で、千杯の盃を交わす。
    娯楽は特別、若者だけの特権と決まっているだろうか、
      酒宴の席に、ちゃっかり、老翁が座っているのを看ることだ。

○何とも迂闊な話だが、せっせと訳した後で、過去のブログを見ていたら、既に昨年、欧陽脩の「朝中措・平山堂」は訳していることに気付いた。ただ、昨年の訳と今年の訳とでは、まるでその詩意が異なる。一応、『我が儘勝手な私訳』と断り書きしてはいるのだが、あまりにその訳が違い過ぎるのに、自分で驚いている。
  ・書庫「鑑真和上の揚州」:ブログ『欧陽脩:平山堂』
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/38767236.html

○昨年は行楽について、結構述べている。ついでに補記すると、杜牧に「清明」と言う佳詩がある。杜牧の「清明」詩の舞台は、安徽省池州市貴池区杏花村と言う。昨年6月に池州市を訪れている。
  ・書庫「 九華山・黄山」:ブログ『杜牧:清明』
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/38400608.html

○ブログ『杜牧:清明』にも書いていることだが、同じような行楽を、白楽天が杭州で行っている。
  ・書庫「白居易の愛した佛都・杭州」:ブログ『白居易:錢塘湖春行』
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/37298225.html

○杜牧の『清明』詩や、白居易の『錢塘湖春行』詩が案内するような行楽は、なかなか望めない。これに、李白の「月下独酌」詩や「春夜宴桃李園序」を冠すれば十分だろう。

○ただ、欧陽脩と李白や杜牧、白居易との間には、随分の差違がある。李白や杜牧、白居易の作品からは、彼らの全生涯が見て取れる。しかし、欧陽脩のそれは、あくまで余技に過ぎない。

○芭蕉は、「幻住庵記」で、
  かく云へばとて、ひたぶるに閑寂を好み、山野に跡をかくさむとにはあらず。やや病身人に倦みて、
  世をいとひし人に似たり。つらつら年月の移りこし拙き身の科を思ふに、ある時は仕官懸命の地を
  うらやみ、一たびは佛籬祖室の扉に入らむとせしも、たどりなき風雲に身を責め、花鳥に情を労して、
  暫く生涯のはかり事とさへなれば、終に無能無才にして此の一筋につながる。楽天は五臟の神を破り、
  老杜は瘠せたり。賢愚文質の等しからざるも、いづれか幻の栖ならずやと、思ひ捨てふしぬ。
と嘆じるけれども、そういう覚悟が欧陽脩には無い。

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