○中国の検索エンジン百度の百度百科が案内する北固山項目に、『诗韵北固』の項目があって、3首が掲載されているのが気になった。今回案内するのは、その第三首、辛棄疾の「永遇楽・京口北固亭懐古」である。
○前回案内した、辛棄疾の「南郷子・登京口北固亭有懐」も、なかなか面白い詞だったが、「永遇楽・京口北固亭懐古」は、「南郷子・登京口北固亭有懐」以上によく出来ている。ある意味、鎮江の歴史を理解するのに、大いに役立つ。
【原文】
永遇楽・京口北固亭懐古
辛棄疾
千古江山,英雄無覓,孫仲謀処。
舞榭歌台,風流総被,雨打風吹去。
斜陽草樹,尋常巷陌,人道寄奴曾住。
想当年,金戈鉄馬,気呑万里如虎。
元嘉草草,封狼居胥,贏得倉皇北顧。
四十三年,望中猶記,烽火揚州路。
可堪回首,仏狸祠下,一片神鴉社鼓。
凭誰問,廉頗老矣,尚能飯否。
【書き下し文】
永遇楽・京口の北固亭を懐古する
辛棄疾
千古の江山、英雄覓むること無く、孫仲の謀する処。
舞榭や歌台、風流の総被するも、雨打ち風吹き去る。
斜陽の草樹、尋常の巷陌、人道には寄奴の曾て住む。
想へば当年、金戈や鉄馬の、気呑は万里の虎の如し。
元嘉の草草、狼居胥に封ずるも、倉皇北顧を贏得す。
四十三年、望中、猶ほ記するがごとし、烽火は揚州路。
回首に堪ふべきや、仏狸祠の下、一片の神鴉と社鼓。
凭ぞ誰にか問はん、廉頗は老いたり、尚ほ能く飯するや否やと。
【我が儘勝手な私訳】
大昔より鎮江の江山は今尚存在するが、現在は何処にも英雄を見ないけれども、
嘗てこの地に呉国を打ち立てた孫権が都していた。
孫権の時代、鎮江には、多くの舞踊や歌謡の舞台が建ち、あらゆる風流を見せていたけれども、
それらも今は風雨に砕かれてしまって、見る影もない。
今は夕陽の中に草木が生い茂っているけれども、狭隘な街中に、道が走っているところが、
南朝劉宋開国の皇帝劉裕が以前居住していたところである。
劉裕は嘗て大軍を率いて洛陽や長安へと侵攻し、その勢いは万里を進む虎のようであった。
南朝劉宋の文帝、劉義隆の元嘉年間(424~453)、宋軍はモンゴルの狼居胥山まで
侵攻したけれども、その軽率な軍事行動は、慌ただしい北方の憂いを獲得したに過ぎなかった。
南宋の寧宗趙拡の開禧元年(1205)、私はこの鎮江知府の北固亭へ登り、
私の生涯四十三年を振り返ると、戦乱はすぐ目の前の長江対岸の揚州まで及んで来ている。
回想するに堪えられるだろうか、北魏の第三位皇帝拓跋焘が南京へ侵攻した記念とされる
仏狸祠に祀られている神鴉と社鼓を。
どうしても誰かに問わずにはいられない、廉頗のような、何処にか国を救ってくれる英雄は
居ないかと。
○辛棄疾の「永遇楽・京口北固亭懐古」詞は、ある意味、壮大な英雄詩であり、叙事詩である。「永遇楽・京口北固亭懐古」詞は、鎮江は英雄の故郷であることを切々と説く。それが孫権であり、劉裕である。
○孫権が嘗て鎮江に都したことは、前回の「南郷子・登京口北固亭有懐」に詳述されていた。
・書庫「鎮江三山」:ブログ『辛棄疾:南郷子・登京口北固亭有懐』
http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/folder/1255212.html
○その孫権の後に出現したのが南朝劉宋開国の皇帝劉裕である。劉裕は、生まれも育ちも鎮江である。モンゴルの狼居胥山まで侵攻した南朝劉宋文帝劉義隆は、その劉裕の子である。
○金国に悩まされ続けた南宋の時代に、辛棄疾が「永遇楽・京口北固亭懐古」詞で詠じるのは、同じ境遇に遭った南朝劉宋の時代のことである。そして、辛棄疾の危惧が的中したことは、歴史の示す通りである。
○ある意味、辛棄疾は、自らを廉頗に擬えているのかも知れない。それは辛棄疾の生涯を振り返ると理解される。中国の検索エンジン百度『百度百科』の案内する辛棄疾項目が参考になる。
辛弃疾(南宋词人、文学家)
辛弃疾(1140年5月28日-1207年10月3日),字幼安,号稼轩,山东东路济南府历城县(今济南市历
城区遥墙镇四凤闸村)人,中国南宋豪放派词人,人称词中之龙,与苏轼合称“苏辛”,与李清照并称
“济南二安”。辛弃疾生于金国,少年抗金归宋,曾任江西安抚使、福建安抚使等职。追赠少师,谥忠
敏。有词集《稼轩长短句》,现存词600多首,强烈的爱国主义思想和战斗精神是他的词的基本思想内容。
著名词作《水调歌头》(带湖吾甚爱)、《摸鱼儿》(更能消几番风雨)、《满江红(家住江南)》、
《沁园春》(杯汝来前)、《西江月·夜行黄沙道中》等。其词艺术风格多样,以豪放为主,风格沉雄
豪迈又不乏细腻柔媚之处。其词题材广阔又善化用前人典故入词,抒写力图恢复国家统一的爱国热情,
倾诉壮志难酬的悲愤,对当时执政者的屈辱求和颇多谴责;也有不少吟咏祖国河山的作品。著有《美芹
十论》与《九议》,条陈战守之策。由于与当政的主和派政见不合,后被弹劾落职,退隐山居,公元12
07年秋季,辛弃疾逝世,年68岁。
http://baike.baidu.com/subview/2982/11994917.htm
○辛棄疾が「永遇楽・京口北固亭懐古」詞で詠じたのは開禧元年(1205)で、辛棄疾の没年は開禧3年(1207)だから、その二年後のことである。