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欧陽脩:和劉原父平山堂見寄

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○揚州大明寺の売店で買って来た「揚州詩咏」(李保華著)には、前回案内した欧陽脩の「朝中措・平山堂」のほか、欧陽脩の「和劉原父平山堂見寄」も掲載している。

  【原文】
      和劉原父平山堂見寄
            欧陽修
    督府繁華久已闌
    至今形勝可躋攀
    山横天地蒼茫外
    花発池台草莽間
    万井笙歌遺俗在
    一樽風月属君閑
    遥知為我留真賞
    恨不相随暫解顔

  【書き下し文】
      劉原父の平山堂に見はるるに和す
            欧陽修
    督府の繁華は、久しく已に闌なり、
    至今の形勝は、躋攀すべし。
    山は天地に横たはり、蒼茫の外、
    花は池台に発し、草莽の間。
    万井の笙歌に、遺俗の在り、
    一樽の風月は、君に属すの閑なり。
    遥かに知る、我が為に真賞を留むるを、
    恨だ相随はず、暫く解顔するを。

  【我が儘勝手な私訳】
      友人、揚州太守、劉原父(劉敞)が平山堂へやって来たのに和する詩
    揚州督府の繁栄は、既に久しく、今がその爛熟期ではないか。
    その揚州一番の景勝地、大明寺の栖霊寺塔には、当然登らなくてはならない。
    江南の山々が地平線の彼方に浮かび、広々とした平原が広がっていて、
    蓮花の美しさは、瘠西湖の楼台辺りから始まり、何処までも続いている。
    揚州の人々が笙に合わせて歌う歌には、前時代の風雅が感じられ、
    風月を愛でる宴会は、まさしく君に相応しい一時である。
    遙か昔から貴方が私にとって、心底から賞賛に値する友人であることが判っている、
    だから、自然と笑顔になるのは、どうしようもないことなのだ。

○2014年6月21日に、揚州を訪問し、大明寺へ参詣した。その時、もちろん、栖霊寺塔も見たし、今書いている詩文が記されている「揚州詩咏」(李保華著)も購入した。

○揚州へ出掛け、大明寺参拝すると、欧陽脩の「和劉原父平山堂見寄」詩の情景をそのまま見ることが出来るし、揚州大明寺には、欧陽脩の平山堂も再建されている。それ程、欧陽脩は揚州が気に入っていたのであろう。

○私が揚州を訪れた6月21日は、旧暦なら5月24日であったから、間もなく旧暦六月の時期であった。暑い盛りだが、中国江南地方は、蓮花が咲き、楊万里が「曉出淨慈寺送林子方」詩で、
  畢竟西湖六月中    畢竟、西湖は六月中なり。
と詠じているように、一年で最も美しく華やかな季節であった。

○『百聞不如一見』と言う。豪華絢爛な蓮花の写真を撮ってきたので、そちらをご覧いただきたい。一つは、揚州の个園北側正面入り口前の鉢植えの蓮花であり、もう一つは、鎮江金山寺前の堀の蓮花である。どちらも申し分無い美しさであった。
  ・書庫「痩西湖・个園」:ブログ『畢竟瘦西湖六月中』
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/39140504.html
  ・書庫「鎮江三山」:ブログ『鎮江金山寺の蓮花』
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/39159036.html

○欧陽脩が「和劉原父平山堂見寄」詩冒頭で、
  督府繁華久已闌    督府の繁華は、久しく已に闌なり、
と詠じるのには、当然、意味がある。それは、現在、揚州太守である劉原父への挨拶である。劉原父が治めている揚州の繁栄は、嘗て揚州太守であった欧陽脩にとっても、嬉しいことである。

○「和劉原父平山堂見寄」詩には、欧陽脩の得意と満足がある。その背景には、大明寺栖霊寺塔からの雄大な眺望がある。加えて欧陽脩は、劉原父との交友まで付加する。それなのに、何故か詩としては、物足りなさを感じる。「論語」先進篇にあるように、『過猶不及也』みたいなものなのだろうか。

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