○前回、欧陽脩の『和劉原父平山堂見寄』詩を紹介した。揚州大明寺の売店で買って来た「揚州詩咏」(李保華著)では、欧陽脩の『和劉原父平山堂見寄』詩は載せているけれども、劉敞に、『登平山堂寄永叔内翰』詩があることを案内するだけで、『登平山堂寄永叔内翰』詩は載せていない。甚だ、不親切である。
○それで、インターネットで検索して、劉敞の『登平山堂寄永叔内翰』詩を探し出した。それがまた簡体字だから、繁体字に変更しなくてはならない。何とも面倒な作業を繰り返して、ようやく劉敞の『登平山堂寄永叔内翰』詩に辿り着いたわけである。
【原文】
登平山堂寄永叔内翰
劉敞
蕪城此地遠人寰
尽借江南万畳山
江気朝横飛鳥外
嵐光平堕酒杯閑
主人寄賞来何暮
遊子消憂酔不還
無限秋風桂枝老
淮南仙去可能攀
【書き下し文】
平山堂へ登り、永叔内翰に寄す
劉敞
蕪城の此の地は、人寰より遠く、
尽く借す、江南の万畳の山を。
江気の朝に横たはり、飛ぶ鳥の外、
嵐光の平かに堕つ、酒杯は閑たり。
主人の賞を寄せ、来るは何れの暮れ、
遊子の憂ひは消え、酔ひて還らず。
無限の秋風に、桂枝も老い、
淮南を仙の去らば、能く攀るべき。
【我が儘勝手な私訳】
欧陽脩の滞在する大明寺平山堂を訪れ、永叔内翰(欧陽脩)へ贈る詩
揚州広陵城の西北、大明寺平山堂の存在する此の地は、人界から離れ、
江南地方の山々を遙かに見渡す絶景の地である。
清々しい長江の朝の空気が漲り、空には鳥が飛び、
神々しい夕陽は遠く西の山間に落ち、平山堂での宴会は長閑なものである。
平山堂の主人、欧陽脩は平山堂を激賞し、もう長いこと、ここで過ごしている。
平山堂では旅人の憂いも無くなり、酒宴を楽しみ、帰ることも忘れてしまった。
数え切れないほどの秋風が吹いて、若かった桂枝も既に老木となり、
主人が立ち去った平山堂に、果たして誰が訪れるであろうか。
○読んでみれば判ることだが、劉敞の『登平山堂寄永叔内翰』詩を、「揚州詩咏」がどうして載せないのかが不思議なくらい、劉敞の『登平山堂寄永叔内翰』詩は佳詩である。劉敞が欧陽脩の滞在する大明寺平山堂を仙人の棲むところに擬えているのが、何とも楽しい。
○多分、そのうち、欧陽脩は仙人だから、龍か鶴となって昇天するに違いないと、劉敞は推測する。今回の旅行で、湘南の南岳衡山から、洞庭湖の岳陽楼、武昌の黄鶴楼、南昌の滕王閣と巡って来た。そう言う意味では、大明寺の栖霊寺塔は、十分仙人の遊ぶに相応しい仏塔である。中国では、南岳衡山でも廬山でも会稽若耶渓でも、何処でも、仏教と道教は共存している。現に、揚州の長江対岸、鎮江三山、焦山は東漢の隐士、焦光の棲んだところである。