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楊万里:角林

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○揚州大明寺の売店で買って来た「揚州詩咏」(李保華著)に、楊万里の『角林』詩が掲載されていた。本ブログでは、以前、楊万里の詩を二つ案内している。

  曉出淨慈寺送林子方
      楊万里
  畢竟西湖六月中    畢竟、西湖は六月中なり。
  風光不與四時同    風光は四時と同じからず。
  接天蓮葉無窮碧    天に接して、蓮葉は碧に窮まる無く、
  映日荷花別樣紅    日に映じて、荷花は別樣、紅なり。

   宿新市徐公店
      楊万里
  籬落疏疏一徑深    籬落、疏疏として一徑深し。
  樹頭花落未成陰    樹頭の花落つるに、未だ陰と成らず。
  兒童急走追黄蝶    兒童の急走して黄蝶を追ふ。
  飛入菜花無處尋    菜花に飛び入り、尋ぬる處無し。
  ・書庫「白居易の愛した佛都・杭州」:ブログ『曉出淨慈寺送林子方』
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/37273098.html

○楊万里の『曉出淨慈寺送林子方』や、『宿新市徐公店』詩を読むと、楊万里の詩が、何とも惚けた詩であることに驚く。『曉出淨慈寺送林子方』詩の冒頭句、
  畢竟西湖六月中    畢竟、西湖は六月中なり。
は、詩人が何を言い出すのか、とんと検討も付かないし、『宿新市徐公店』詩の結句、
  飛入菜花無處尋    菜花に飛び入り、尋ぬる處無し。
にしたところで、こんな結句など、誰が予想出来るだろうか。人を食うとは、楊万里のような詩人を指すのであろう。

○「揚州詩咏」が載せる楊万里の『角林』詩は、そういう楊万里の詩作とは、随分、趣を異にしている。

  【原文】
      角林
        楊万里
    水漾霜風冷客襟
    苔封戦骨動人心
    河辺独樹知何木
    今古相傅角林

  【書き下し文】
      角林
        楊万里
    水は漾れ、霜風は客の襟を冷たくし、
    苔は戦骨を封じて、人心を動かす。
    河辺の独樹、何の木なるかを知る、
    今古、相ひ傅ふべし、角林。

  【我が儘勝手な私訳】
    水面は波を立てて揺れ、寒風が旅人の襟を冷たくする、
    長年経つ間に、すっかり古戦場は草に覆われ、旅人は往事の戦いに思いを馳せる。
    岸辺に生える大木が、何と言う名の木であるかを誰もが知っている、
    これから長く言い伝えられて行くであろう、この地が角林の古戦場であることは。

○中国の検索エンジン百度の「百度百科」が案内する楊万里の項目を読むと、楊万里が凄まじい生涯を送っていることを理解する。彼の魂魄を驚かす表現は、案外、そういう生涯の中で得た、智慧なのかも知れない。

      杨万里(南宋杰出爱国诗人)
   杨万里(1127年~1206年),字廷秀,号诚斋。汉族江右民系,吉州吉水人(今江西省吉水县黄桥镇
  湴塘村)。南宋著名爱国诗人,文学家,与陆游、尤袤、范成大并称“南宋四大家”,“中兴四大诗
  人”。一生作诗20000多首,只有4200首留传下来,被誉为一代诗宗。杨万里诗歌大多描写自然景物,
  且以此见长,也有不少篇章反映民间疾苦抒发爱国感情;语言浅近明白,清新自然,富有幽默情趣;称
  为"诚斋体"。
   代表作品:《晓出净慈寺送林子方》、《小池》、《宿新市徐公店》、《闲居初夏午睡起》、
  《新柳》等。
  http://baike.baidu.com/subview/6869/8348382.htm?fr=aladdin

○いろいろ調べているうちに、釈行海『角林』詩とも遭遇した。

  【原文】
      角林
        釈行海
    角林辺殺気新
    凄涼偏感北征人
    我来認作将軍樹
    汲静当年打女真

  【書き下し文】
      角林
        釈行海
    角林辺、殺気の新たなり、
    凄涼、偏へに感ず、北征の人。
    我来つて認め作す、将軍の樹、
    当年、女真を打つを汲静す。

  【我が儘勝手な私訳】
    角林辺りには、殺気が充ち満ち、
    ぞっとする寒気を、宋軍兵士は全身で感じていたに違いない。
    角林の古戦場に来たって、私は将軍の木を見付けた、
    この木は宋軍兵士が金軍兵士を襲う様子をじっと静かに見ていたに違いない。

○釈行海の『角林』詩も、臨場感溢れる佳詩である。楊万里『角林』詩と併せて読むと、両者の違いが判って、なかなか面白い。

○なお、『百度百科』が案内する「角林之戦」は、次の通り。

      角林之战
   南宋绍兴三十一年(金大定元年,1161年)十月,在宋金战争中,宋军在角林(今江苏江都县南30
  里)击败金军的一次作战。
   绍兴三十—年,金帝完颜亮大举攻宋,十月,攻克扬州后,为抢占扬州南瓜洲渡口进而挥师渡江南下,
  命万户高景山率骑兵攻瓜洲镇。宋江、淮、浙西置制使刘锜,命镇江府左军统领员率部邀击。二十六
  日,员与统制官贾和仲、吴超等人迎战金军于角林。宋中军第四将王佐以步卒百余人设伏角林内。
  员率部与金军激战,因力量悬殊,员等身陷重围,弃马与金军死战,将金军诱到设伏圈内,宋伏兵
  突起,强弓劲弩齐发。金军遭此突然攻击,加之运河河岸地势狭窄,难以发挥骑兵优势,被迫撤退。员
  督军乘势追击,大败金军,斩万户高景山,俘数百人。
   此役,宋军采取设伏诱击战法,充分利用地势优势,以己之长,克彼之短,创造了以少胜多,以弱克
  强的战例。
  http://baike.baidu.com/view/1138147.htm?fr=aladdin

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